私の人生の意義は【伝承】です。
私は俳優業やデザイナー業、管理職などこれまでのキャリアを通じて、もしかしたら普通は一生体験しないかもしれないと思えるような体験を多くしてきたと思っていて、私の根源を成すようなものも数多くありました。
私が師と仰ぐ方に「自分がそうされたように自分もお前に俺にある全てを伝える」と言われたことがあります。それは技術だけでなく、「気概」ごと見せてくれたのだと思います。
私は師やそれに連なる方々から教わった「気概」によって、人生を謳歌しています。
その頂いた想いを後進となる人達の心にも遺し、いま以上に素晴らしい人生を歩んでもらう助力ができればと考えています。
そのために、私の持つ全てをより多くの方々に【伝承】し、意志や絆を繋ぎ、後世に残していくことを人生の意義と考えています。
私は他人(ひと)や社会のために、自分の能力を最大限に使いたい、と思っています。
それを最もシンプルに表現できる言葉として、この「一人はみんなのために」を意味するこの言葉を選ばせていただきました。
母親がとにかく世話焼きな人だったこともあり、人のために自分の能力を使い喜んでもらえることが自分にとっての喜びになっています。
自分の能力を他人(ひと)のために使うというのは、自分自身が100%のクオリティだと思えること以上に、依頼者やユーザーの感性や嗜好などの心理に寄り添い、その要望に応えていかねばならない我々職業デザイナーの根底にある思考にとても近いと感じています。
自身の欲求としては、自分に限界を設けず、常に成長し続けたいと思っています。
クインテットで仕事をしていると、直接的に関係ない、いろんなプロジェクトや業務に対して部署の垣根に構わず首を突っ込んだり、関わりに行ったり、話を聞きに行ったりしています。
デザイン部長という立場は関係なく、社内のほぼすべての部署と何かしら接点を持ち、積極的に関わりを持つようにしています。
最近はそのような行動が認められつつあり(?)、いろんな方からいろんな相談事やアドバイスを求められることがあります。
最初は「俺って何部だっけ?」みたいにも思っていたのですが、これはこれで好きでやってるし、結構楽しんでいたりするので、ふと冷静に考えたときに「デザイン部長というよりは、「なんでも屋・うしお」を名乗るくらいのつもりでいいのでは?と思うようになりました。
ですので、「なんでも屋さん」と呼ばれるようになるのは、ある意味、私のビジョンと言えるかもしれません。
【何故ビジョンは必要なのか】
https://pando.life/qwintet/article/43621
【ビジョン発表会】
https://pando.life/qwintet/article/44103
【 ビジョン・マインドの根源とは?】
https://pando.life/qwintet/article/37466
【三点測量という考え方】
https://pando.life/qwintet/article/44920
【人生の意義を考える】
https://pando.life/qwintet/article/7372