山本 一樹
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ヒストリー

出身地

神奈川県

幼少期の暮らし、体験

物凄く短期で何が嫌なことがあると、暴れだすガキ大将でした。

今では本当に笑い話ですが、小学3年生の時のクラスでの席替えがあるときのことでした。紙でくじを引いて、出た番号の所に座るという簡単な席替えをする際、私が最後から2番目に引くことになりました。その袋をみると、私が引くであろう紙がなかったのです。当時の私は、「ミスをすることもあるよね」と声をかける感情はなく、引くことを楽しみにしていたので、「なんで引けないんだ」と暴れました笑
こんな私ですが、負けないと思っていたことがあります。

スポーツです

小学生の時にスポーツに出会っていなければ今の私はいないと言っても過言ではないです。つらいことがあっても何事にも挑戦をするということを明確に実感をして、中学のスポーツにつながります

中学・高校時代

中学校の入学したときからハンド部、バスケ部、バトミントン部この3つどれかにしようと考えていましたが、恩師との出会いにより、陸上部に入部。当時は、「走りたくない」「ユニフォームが短いのが恥ずかしい」など、いろいろなことを思いました。

実際に始めてみると、砲丸投げという競技で、県で3番
高校に入ってU-18大会、円盤投げで全国7位という結果を残すことができました。

正直、7位になれるとは思っていなかったし、こんな感じで7位ってとれるんだと、当時の私は感じていました。
しかし、次の年ラストのインターハイで、勝てるだろうと自分の中で思っていたのが、14位の予選落ちでした。

まだまだ、私には考えや、能力は低いと陸上競技日本1位の大学に入学の決意をしました。


大学・専門学校時代

日本大学
保健体育の教員を目指し、日本大学文理学部体育学科に入学。
​陸上競技でお声をかけていただいたこともあり、日本一をとるために競技生活を送りました。

​1年生の時に関東インカレや全日本インカレに出場ができなかったことがものすごく悔しく、関東インカレで入賞、全日本インカレ出場と目標を掲げました。
2年次にはその目標を達成し、次の目標に変わった。

2年次からたくさんの社会人の方々と接する機会が増加し、価値観や考え方がものすごく大きく変わる転機になりました。

たくさんの壁を当たったのち、たくさんの人がやりたいことができる環境づくりをしたいと思い始め自分で行動を始めた。