山手 陽奈
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ヒストリー

出身地

北九州

幼少期の暮らし、体験

空手を2歳から中2までしました。何が何だか分からないまま、毎週火曜日と金曜日、土曜日に練習に行っていました。

​幼少期は、何を練習していたかあまり覚えていませんが、色んな人に可愛がってもらえるので楽しかった記憶があります。

そして、幼稚園の頃の夢はぶどうになることでした。

その夢も叶うことなく、無事卒園しました。
幼少期は、心を許した人とは楽しく遊んでいましたが、人見知りが激しく、姉や母の後ろにいつも隠れていたと聞いています。
​いつの間にか1人でどこかに行っていたり、いつの間にか味のりを身体中に貼ったり、しれっと手のかかる子でした。

小学生になり、友達が沢山でき、無事人見知りを克服し、明るい人生を歩み始めました。
​そして、空手も波に乗ってきて、トロフィー持っていつもブイブイ言わせてました。山手陽奈の全盛期です。
何もかも順調に進んでいました。
しかし、小学5年生頃から、空手で色んな選手に対策されるようになり、負ける日々が続きました。
ここで初めての挫折を味わい、自分に自信がなくなっていきました。
ここで辞めようか悩みましたが、​恩師や家族、友達の支えもあり、黒帯を取るまで頑張ってみる事にしました。
今までがむしゃらに頑張っていく方式の自分に目標を定める方式を学んだ瞬間でした。
​そこからは、勝ったり負けたり、そう簡単にうまくいかない日々も続きました。
そして、黒帯を取るという目標の為に、コツコツ小さな目的をクリアしていき、中学一年生になる頃にようやく黒帯を取ることができました。
私はこれまでの人生の中でここまで目標のために頑張ったことがなかったため、自分を誇らしく思い、自信がつきました。

中学・高校時代

そして、中学時代に入ると、空手を続けたかったため、運動部はやめようと考え、吹奏楽部に入部しました。すると、吹奏楽部は想像以上に忙しく、ハードでした。トランペットを吹いていました。小さい頃から音楽には触れていましたが、覚えなければいけないことが多く、とても大変でしたが、自分を追い込むことが好きな私はそれがとても楽しく感じました。そして、空手を続ける為に入った吹奏楽部にハマってしまい、空手はもうやり切ったと考えたため、中学2年生で辞めました。

そして、吹奏楽部の誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰って日々自主練に励んでいました。
私は自分がちゃんとやってきた事には自信がある為、沢山のソロを吹かせていただきました。いつになっても緊張はしていましたが、そのプレッシャーや刺激、舞台上でのスポットライトが大好きでした。

中学の頃は、練習もめちゃくちゃしていましたが、今考えるとどこにそんな時間があるんだろうというぐらい遊んでもいました。
他の小学校からきた子達とも仲良くなり、大きな軍団となりました。
とても楽しく、悪い事もたくさんしてきたなと今は思います。笑
そして、高校は、なによりも家から近い高校が良くて、家から自転車で5分で着く高校を選びました。
高校生になっても吹奏楽がしたい!と考えたため、吹奏楽部に入部しました。
高校生に入って、周りに上手い人が沢山いることを知り、井の中の蛙状態でした。
しかし、先輩も同期も私の波長に合う人ばかりで、とても楽しかったです。私は本質的にはとても負けず嫌いな為、ここでも誰よりも早く来て自主練をしました。すると、だんだんソロを任せてもらえるようになり、一年生で初のソロをさせていただきました。



副部長と学指揮でした。楽しかったです。



大学・専門学校時代

大学ではラクロス部のトレーナーをしてます。楽しいです。

職歴

飲食店3店

派遣

​コンビニ