今思えば昔から変わらないなと気づいたことが一つだけある。
それは一つのことにのめり込むと200%を追い求めとことん追求することである。
今でも映像関係に没頭する通り、幼い頃から私はレゴ、パズルに目がなかった。
(レゴに関してはレゴ発祥の地であるデンマークへ行きたいと憧れを持つほどだった。)
また、段ボールで何かを作ったり、小学校の課題などでよくある夏休みの工作が郵便局に展示されるなど、
今でも続くクリエイティブさは幼少期の頃からあったのかもしれない。
中学受験で私立清風高校に入学し、中高一貫の男子校に通うことになった私はバカなことをたくさんした。
男子校ということもあり、もちろん恋愛とは無縁だった。
中学二年生で初めて富士山を登頂し、中学三年生では徹夜で100kmを30時間かけて歩いたりもした。
その他には京セラドームで体育祭をしたり、真冬にふんどしで四天王寺を駆け巡るどやどやに参加をしたりもした。
一年の浪人時代を経験した後に日本大学に合格した。
そして私が大学生活で真っ先に必要だと感じたのは人脈であった。
大阪から上京してきた私はもちろん知り合いはゼロ。そんな状況下の中で東京という環境を最大限に活かすため、私は学生団体という一つの選択肢に出会った。
やがて、学生団体に所属した私は人脈をとにかく広げるため、色んな団体へ足を踏み入れるのであった。
その後に自分の新たな挑戦の場である学生団体SWITCHというものに出会うのであった。