YUMENOKO
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ヒストリー

出身地

関東

幼少期の暮らし、体験

「夢見る夢子ちゃん」。幼少期、母からそんな言葉をかけられたことがある。

病院で生まれてすぐの私は瀕死状態で、保育器に隔離されて色々大変だったのだそうだ。それでも無事育ち、近所の男の子達とザリガニを取り、おばあちゃん・おじいちゃんの田植えを手伝う健康な田舎娘に。家にはニワトリまでいた。

関東の片田舎、「安定・安全第一!」な、ちょっぴり保守的な家庭だったけれど、いわゆる「普通に」育ったと思う。が、ちょっと繊細だったのだろう。「いい子」の殻を破れず、無意識に大人の顔色を伺っている幼少期だった。女子としても人としてもあんまり自信はなく、周囲には見せずとも心のどこかで「私は何で生きているんだろう?」なんて思ったりしていた。そんな私は、夢見がちに時々ぼーっとしていたようで、冒頭の言葉は、そこから来ている。

なぜか外国映画が好きで、小学校時代は毎日のようにテレビ放映される映画を見ていた。部活ではバスケや陸上に明け暮れ、時々絵を描いていた。


中学・高校時代

千葉県立千葉女子高等学校

中学まで地元の学校に通う。

中学に入ったとたん、急に先輩・後輩という上下関係が生まれた。小学校時代と同じ生徒しかいないのに、とても不思議だった。男の子たちは授業をさぼったり、煙草を吸ったりし始めた。時々学校の窓ガラスが割れたり、「あの先輩が暴走族に入ったらしい」なんて噂を聞くことすらあった。要は、ちょっぴり荒れていた。色々な子がいて面白い環境だったけれど、私は生徒会や部活に加え塾通い。毎日忙しくストレスもあり、少し鬱々とした時代だった。幸い男の子にはまあまあモテて、ファンになってくれる子もいたけれど、自信がなく対等な向き合い方がよく分からなかった。

その後進学した高校では、うって変わって穏やかな女の子たちばかり。文化的なものを欲していたのか、いきなりバイオリンを始める。所属したオーケストラの演奏旅行で初めての海外、オーストリアに行った。映画好きは相変わらずで、友達と映画雑誌「スクリーン」を愛読。米TVシリーズ「ビバリーヒルズ高校白書」にハマったりもした。自由な空気に憧れ「海外の大学に生きたい」と親に頼むも取り合ってもらえることなく、右に倣えで日本の大学を受験。

大学・専門学校時代

HEC Paris MBA
成城大学

海外に憧れていた私は、「国際関係学部」なるものに興味があった。「浪人してそういう学部のある学校に行きたい」という希望もあったけれど、「女の子はそこまでしなくていいの」という言葉に抗えず、現役合格した大学へ行ってみた。校内ではよく芸能人を見かけるような環境で、中学校時代あたりと比べたらギャップがすごかった。

将来何かクリエイティブな仕事がしたいと、経済学部経営学科の中でも右脳的発想を生かしたマーケティングゼミで学ぶ。でも、なぜか「女性の働き方」という卒論を書いた。渋る親に頼み込み、夏にアメリカのサマースクールに行ったりして、そこでやっと、少し自由な空気を感じられたような気がした。

「交換留学」という選択肢もずっと気になっていた。でも、「1年でも遅れると、就職に不利」なんて聞くと、怖くて一歩を踏み出せなかった。なんて小心者だったんだろう。でもそれよりも、どうしてそんなことで就職が不利になる世の中なのか、正直全く理解できなかった。

その後、もっと広い世界に出たいという気持ちは、「ないこと」にして、蓋をして生きた。でも、そのまま社会人になって10年くらい経った時、蓋をしていたものが溢れ出てきた。結果として、社会人留学をすることを選び、ロータリー財団国際親善奨学生として渡仏。フランス・パリでMBAプログラムに参加した。

MBA時代は、パリで世界60か国以上から集まる仲間に囲まれた。純粋な日本生まれ・日本育ちは、同期の中で自分だけだった。そこで、忙しすぎるけど楽しすぎる約2年間を過ごした。卒業後は帰国予定だったものの、人生とは分からないもの。私は今現在(2021)もフランスにいる。

職歴

米系IT企業に5年間、LVMHグループで約6年間、計10年余り、東京で社会人生活を経験。

IT企業では、エンジニアからスタートし、その後BtoBのマーケティング・広報を担当。同時に、新人教育・研修、採用活動などに携わる。

LVMHグループでも、マーケティングに携わる。まずは、店頭の販売員の教育・研修担当としてスタート。マーケティング戦略を現場に落とし込んだり、セールステクニックのトレーニングなどを行った。その後、デジタルマーケティング、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)のチームに移り、BtoCのマーケティング戦略により深く携わるようになる。

社会人10年目が過ぎ、その後のキャリアを考えたときに、「まだ自分が見たい世界を見ていない」ことに気づく。それまで、周囲が決めた価値観の枠の中で生きていたのかもしれない、と感じ、広い世界を求めて環境を変えることを決意。

その後、フランスに留学し、そのまま現地で就職。フランスでは、パリで広告代理店やラグジュアリーブランドのコンサルティングプロジェクトに携わったり、その後移った南仏ではスタートアップ起業の立ち上げや小規模ビジネスのセールス・マーケティングに従事。

現在はさらに、主に女性のためのキャリア&ライフデザインに関するコーチングおよびコンテンツ発信を行っている。