安齊 勇馬
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ヒストリー

出身地

群馬県

幼少期の暮らし、体験

1999年5月15日群馬県で生まれる。

兄の影響で小学1年生の時に、野球、空手、サッカーを始める。当時の僕のヒーローは兄であり、兄がやっているものはなんでもかっこいいと思えた。空手だけは親の影響で始めた。親が空手の世界チャンピオンであり、空手家の息子は空手をやるという理由でやらされていた。自分が好きでやっているわけではないため毎週ある空手の練習が本当に嫌いで泣きながら行っていた。母が空手に行ったら遊戯王カードを買ってくれるという約束をしてくれたためなんとか6年続けた。また、周りの先生方が「先生の息子さんだから将来が楽しみだね」という言葉をかけられていて、親の面子のためにもやめられないと思っていた。小学5年生の時に少年野球チームが合併し、新しいチームになった。親が会議などで意見することが多くその理由からか一部のチームメンバーから軽いいじめに合う。階段を降りていると上の階から「死ぬ消えろ」などの声が毎日聞こえた。大好きだった野球を辞めたいとも思ったが中学でも続けたいという気持ちもあり辞めずに毎日を乗り越えた。仲良くしてくれる友達も少なからずいて学校自体はとても苦しいものではなかった。当時の趣味は日向ぼっこと折り紙。

中学・高校時代

中学校に進学すると何も迷わず野球部に入部した。やっぱり野球が好きだった。しかし、小学生の時に嫌がらせをしてきた人も野球部に入部したため、軽い仲間外れをされる。無視をされる程度だったので今思えば大したことなかったが当時の自分は泣きながら帰ったことを覚えてる。野球部はイメージ通りの上下関係があり、1つ2つ早く生まれただけの人が上から物を言ってきてとてもイラついた。上下関係を否定しているわけではなく、年上だから偉い、敬われて当然と思っている先輩が嫌いだった。年上でもなんもしない奴はクズだし、年下であろうと尊敬できる人間はいっぱいいる。その時にこんな先輩になりたくない、後輩にそうに思われないように真面目にやろうと思い、3年になっても、部室の整理、グランドの整備は率先してやった。これは褒められることをしたわけでなく、自分が使ったものを自分で直す。当たり前のことを当たり前にできるようにした。中学2年の夏に溜まった宿題が終わらず深夜まで起きているとたまたまテレビでプロレスがやっていた。この世にこんなにかっこいい世界があるのかと感動し、俺もこの世界に行きたいと強く思う。野球ではそれなりの成績を収めていたため、高校から声をかけて貰ったが親に相談することもなく全て断る。プロレスの入門テストにレスリングのスパーリングがあるからレスリングをしようのノリで高校からレスリングを始める。

近くにレスリング部がある高校がなく少し遠い高校に入学。毎日始発で朝練に向かっていた。自分の中学から前橋西に行った人はおらず4月の間は1人で読書をしていた。昔から1人で折り紙を折ったりするのが好きだったので苦ではなかった。練習では野球部で走り込んだから大丈夫だろうと軽い気持ちで臨むも人生で1番きつい時間を体験する。入部3日で肋骨を折る。毎日「辛すぎる、今日こそ顧問に辞めようと言おう」と心にしながら練習に行くもコミュ障のため言い出せず、一年半がたった。2年の新人戦で初めて県優勝ができ、レスリング少しだけ楽しいと思えた。その後、何もしない大学生活は絶対退屈と思いレスリングを続けることを決意。高校時代の趣味は羊毛フェルトと曼陀羅を描くこと。

大学・専門学校時代

入寮当初は「こんなに汚く狭い寮で4年間過ごすのか、、練習キツすぎる、筋トレしんどい、先輩怖い。」しか思えなかった。1年の終わりくらいから先輩によくしてもらい、筋トレもマットも毎日全力で頑張るようになった。2年の冬くらいに「俺は野球部の時嫌いだった先輩みたいになってないか?」と考え、何か発言するためにはあの時の先輩のようではいけないと思い、とにかく練習を頑張ろうと誓った。マット練も頭使って行い、筋トレも終わってから自主練として毎日2種目はやると決めた。同期からは「よくやるよね笑」と言われることもあったが引退の時にあの時ちゃんとやっておけばと後悔もしたくないし、自分もあと少しで1番上の代になり、後輩に「あの先輩は練習もしない、仕事もしない、口ばっかだ」と言われないようにこれからも頑張りたい。今の趣味は筋トレと古着屋巡り。