お金がなくては愛する人も愛せない

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お金
それは味噌ラーメンのトウモロコシのようにある人にとっては必要不可欠であり、ある人にとっては不必要と呼ばれるものである。

ちなみに僕には味噌ラーメンのトウモロコシは不必要派だがお金は必要不可欠派だ。

今日のブログは僕の主観の押し付けだと感じる人がいるかもしれない。確かにそうだ。自分の意見を主張することと押し付けることの境界線は難しい。というわけで押し付けている訳ではないということを強調しておく。

題にある
「お金がなくては愛する人も愛せない」

分かるようで分からない。分からないようで分かる。

僕の頭の中の思考回路は常にどうやってお金を稼ぐかに結びついている。こういう考えを述べるとお金に囚われている、それで稼いでも幸せは手に入らないと言われることがある。確かにそれは一理あるかもしれないが、おそらくそういう人達はお金に困ったことがないのだろう。お金が原因で人が悲しむ様を見たことがないのだろう。お金が原因で人が亡くなる様を見たことがないのだろう。

つい先日経済的な理由で大学を中退した友達を見てお金いらない論にますます怪訝を覚えた。

明日東京で雪が降ろうと、北関東三県が戦争を始めようと、パクチーが栽培禁止になろうと日本は資本主義社会だ。

資本主義では自由競争の原理の元、個人や企業は利益を追求し経済活動を行う。

お金の供給量は中央銀行にコントロールされている。つまり日本の市場の中に存在するお金の量は決まっているのだ。その中で私たちはお金の奪い合いをする。誰かの支出は誰かにとっては収入であり、あなたが今コンビニで使った756円は誰かの所得になる。

お金を市場から得る能力が低い人は一生貧しいままであり、高い人はどんどん豊かになっていく。

何故僕がいつもお金はないよりもあった方が良いと言ってるのか。

考えてみて欲しい、お金がないお金がないと困っている人は沢山いる、対してお金があるお金がありすぎると困っている人は見たことも聞いたこともない。これが答えだ。

お金はないと困るものだがあっても困らないものなのだ。

お金は生きていけるだけ必要最低限あれば良いという人に問いたい。あなたの大切な時間を安い給料に変える意味はなんなのだろうか。満員電車の通勤に毎日往復2時間かける意味はなんなのだろうか。走行距離10万キロを越えたのにいつまでもその車に乗り続けている意味はなんなのだろうか。新婚旅行奥さんはハワイに行きたかったのにセブ島に行った理由はなんなのだろうか。

誰があなたと結婚したいだろうか。

僕の知人も最近お金が原因で破局した。同棲するにしても生活するにしても旅行行くにしても、やりたいことをする為には、あたりまえのようにお金がかかる世界だ。欲しいものも買えず、行きたいところにも行けず、食べたいものも食べれず、この状況ではおそらくどちらか一方の愛は冷めてしまう。お金がなければ愛する人も愛せないという題はこういった所以だ。

人の幸せや豊かさ価値観は誰かが決めるものでも、誰かに評価されるものでもないが、お金があなたの人生の選択肢を増やしてくれることは事実だ。

愛は想像以上にお金で買える。

お金持ちの奥さんは総じて美人だ。人は受け入れたくない現実から目を背けるが、年収500万の人と1000万の人、2000万の人と3000万の人どちらと結婚したいか、明々白々だ。

もちろんお金持ちの奥さんはお金があるからという理由だけで結婚した訳ではないと思う。僕の経験上お金を持ってる人は持っていない人よりも面白い。彼らは歩んできた人生が違うのだ。そしてお金持ちはエレガントだ。単純に心に余裕があるのだ。これがお金持ちの男性の魅力なのではないだろうか。

おそらく大方のお金いらない論を唱えている人はお金に困ったことがない人と、本当のお金持ちと会ったことがない人だろう。本当のお金持ちはとにかくカッコいい、憧れる、尊敬できる。僕は初めて本当のお金持ちと19歳の時に会い、完全に心を打たれた。簡単に表現すると強い。とにかく強い。まさにスーパーサイヤ人だった。

だがしかしbut、この世界のお金の総量は決まっている。中央銀行以外お金を生み出すことは出来ない。つまり全員が豊かになることは不可能なのだ。ゼロサムゲームの世界。僕の収入は誰かの支出なのだから。

進んで誰かの豊かさに貢献し、自らは貧しくても構わないという人がいるのであれば僕には関係がない話なのでそれはそれで構わないが。

現実をしっかりと理解した上で果たしてまだお金いらない論を唱えられるだろうか。

世の中の大抵の問題はお金があれば解決する。

とことん汚い世界だ。

しかし一見醜い現実こそ美しいのかもしれない。



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