無慈悲

皆さんこんにちは、今日も地球は1回転3日後にはトリプルアクセル。どうも西田です。

世界は今日も残酷だ。山のように投稿されている記事の中身はそれぞれがそれぞれの場所で時間で起こったことが書かれている。

日本のタンカーが襲撃されたらしい。

イランは核兵器使用の意思はないらしい。

名神高速で3人事故死したらしい。

NZの銃乱射テロで49人死んだらしい。

山田孝之は高所恐怖症らしい。

僕がブログを書いているこの時間にも誰かが生まれ誰かがなくなっている。

淡々と起こった事象を文字にし更新し続けるニュースアプリを見て僕は止まらず流れる時間、この世界の大きさ、人1人の存在、この世界の存在、言語化出来ない感情を感じた。

神に救いを求めるモスクで銃を突きつけられた人々が最後に見た光景はどんなものなのだろうか。

高速道路で事故死した人々が死を覚悟してから死ぬまでの一瞬で何を思ったのだろうか。

この世界は無慈悲だ。

それもどうしょうもないくらいにだ。

人1人の力に対して、コントロール出来る人生の割合が小さすぎる。人生は偶然に支配されている。

何故神はこんな世界を作ったのだろうか。

いや、神ではない。この世界は人間が生み出したのだ。

人間の賢さが生み出した世界なのだ。

人間はネアンデルタール人からホモ・サピエンスへと進化する過程で人格、集団、社会、国を形成していった。

地球上を見渡してこんなにも無駄に命を落としている生き物が存在するだろうか。

答えは否だ。

僕が今日ここでこんなことを書いても世界は何1つ変わらないし明日も今日と変わらぬ世界がくるのだろう。

そして僕は今日思っていたことなんて意図も簡単に忘れていくのだろう。

なんだか最近ブログを書いているとスケールが大きくなってしまうが、別に誰かに読んで欲しいとか何かを訴えたいとかいう訳ではない。なんとなく思ったことを書いているだけだ。ただ書いているうちに自分がどれだけ恵まれているのか、幸せなのか、それを実感できるし多くの人にそれを知って欲しいとは思っている。

だからどうしたと言われればそれはそれまでなのだが。

それではまた明日。

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