人間の行動は性格ではなく環境が決める【後編】

前回の記事はコチラです。

人間の行動は性格ではなく環境が決める【前編】

ディスカッションサークル ゼロ

前回の記事では、フィリップジンバルドのTED動画をご紹介しました。その動画では一般人でも状況次第では容易に善人にも悪人にもなりうることが説明されていたと思います。

今回は、この動画から考察できることは何かを紹介していきたいと思います。


※以下の文章は、私の大学で開講されている心理学Aにおいて課された「社会心理学レポート」(A4一枚以上三枚以下)をブログ向けに改変したものです。少々、硬い文体ですが、ご容赦ください。


ジンバルドのTED動画から考えたこと 

ジンバルドのTED動画では、大まかにルシファー効果についての説明があった。

ルシファー効果とは、外部の社会的環境要因によって、悪や残忍への壁を超えてしまう瞬間のことを言う。

ジンバルドは、動画内で「善と悪の境界線はない」と主張した。外部の環境次第では、善人にもなり悪人にもなるのである。


代表的な例として。スタンフォード監獄実験が挙げられる。この実験では、学部生が看守役と受刑者役に分かれ、刑務所に似た状況内で過ごすと言うものである。

結果は、衝撃的なものであった。看守役が受刑者役にたいして行う行動は日に日に過激さを増し、予想や想像を超えるレベルの残虐的な行為が行われるようになった。

結果として、実験は中止。まさに、ルシファー効果が形となって現れた実験であった。


この実験から、言えることは何であろうか?

間は、起こした行動のみを切り取って、善悪を持ってして善悪を判断できるほど単純な生き物ではないということである。

発生した行動に対し、なぜ起きたのか、どのような状況が原因になったのか?を考えていかなければ根本的な行動の修正はできないと言うことだ。


先の実験の例でも、「看守役」として割り当てられた学部生が、仮に「受刑者役」であったとしたら、立場は逆にあり、被攻撃者となる。全く、状況が異なると考えていいであろう。

行動は人の生来的、生得的な性格から起こるのではない。環境が人の行動を喚起するのである。

よって、人の行動の善悪を判断する以前に、その人がどのような環境に置かれ、状況はどのようになっているのか深く考える必要があると考える。


中高生時代、クラスメイトに「言われた宿題や課題を全くやってこない」同期がいた。当然、教師は、その生徒を呼び出し叱った。追加の課題を出すあるいは放課後居残りなどの措置をとった。

無論それらの措置は、近視眼的な視点で見れば効果はあるだろう。

しかし、本質的な解決策ではないのだ。

それらの措置をとっても、彼が宿題や課題をやらなかったことがその証左である。

そもそも彼は、授業についていけず、内容を理解できなかったのだ。

だから、宿題や課題をやってこないのだ。

なので、いくら追加の課題や補習を課しても、彼の悩みは消えないのだ。

この場合の解決策は、彼が授業内容を理解するまで彼に寄り添う。むしろ課題の量を減らして、彼の負担を減らすことにあるだろう。

それこそが、本質的な解決策なのだ。

このように、ジンバルドーの話は、単なる行動心理学上の示唆を与えるだけではなく、我々が取るべき、対人関係へのアクションに一石を投じるものであろう。

ジンバルドーは動画の最後でこう述べた。

「個人の尊厳に敬意を払い、正義と平和を提唱しましょう」

 人は環境次第で攻撃者にも被攻撃者にもなりうる。

一方で、自分の意思で環境を形成しにくい点は今後も残るであろう。

だからこそ、日頃から、個人の尊厳に敬意を払い、正義と平和を希求することで、たとえどんな環境に身を置いたとしても悪になりにくい、強い個を形成していくことが我々にとって大事であると考える。