「シガーキスってしたことある?」
彼女は意地悪だ。僕が煙草を吸い始めた動機を知っているくせに、返答の分かり切った質問をする。彼女の吐き出した紫煙が、夕陽で茜色に染まりながら僕をからかった。
「したことないですよ」
僕は馬鹿正直に答えた。思惑通りと言わんばかりに、彼女が口角を上げる。誤魔化すように自分の煙草を吸ってみるけれど、未だに慣れない不健康な煙は、むせてすぐに吐き出される。滑稽な僕の姿を見て、彼女はまた笑った。
顔が熱くなる感覚を覚えて、彼女から顔を逸らす。無機質なベランダの向こうに広がる夕陽は、ビルの隙間から茜色を差し込んできて、直線的な影を街に落としていた。
「君は可愛いね」
「ん、え」
慣れない褒められ方に、躓いた言葉が零れる。「貴女ほどでは」なんて咄嗟に返してみたいものだと、喉の痛みに泣きながら哀しくなる。もっとも、僕は彼女のことを、可愛いという言葉では形容できない。格好いいなんて、そんな言葉で、空虚な憧憬を抱き続けているのだから。
灰を落として、もう一度フィルターを口につける。今度はむせないように、ゆっくりと。彼女は僕の顔を見て薄く笑いながら、十四ミリの煙を肺に入れていた。
「最近は電子タバコも増えてきたから、シガーキスってあんまり見ないんだよね」
言いながら、彼女は煙草を叩いて灰を落とす。計算されたような美しい仕草に、一々視線を奪われてしまう。細く伸びた指は、厭に艶めかしい。
「電子に変えないんですか?」
僕が問いかけると、彼女は口元に運んでいた煙草を離し、「んー」と楽しそうに唸る。考えることすら愉しんでいるような、そんな表情だった。
「したいんだよ。シガーキス」
僕を煽るように、自分の唇をフィルターで叩く。「そっちじゃないでしょう」という言葉は、痛む喉の途中で消え去った。代わりに「なるほど」なんて、薄っぺらな相槌を打つ。言いながら、不器用な自分が恥ずかしくなった。
煙草を吸い終えた彼女は、まだ半分ほど巻紙の残った僕の煙草に視線を落として、「もう一本吸おうかな」なんてあからさまな気遣いを見せる。箱から一本取りだす彼女に、左手で弄んでいたライターを向けると、「いらない」と断られた。
「君は察しが悪いのか、意地悪なのか、どっちなの?」
火のついていない煙草を、人差し指と中指で挟んだまま、フェンスに肌白い肘を立てて、彼女は呆れたように目を細める。光を飲み込んだ黒い瞳が、薄くなった瞼の奥から、冷めた色で僕を見据えた。
察しが悪いわけじゃなかった。けれど、意地悪をしているつもりもない。結果的に彼女を困らせているだけで、僕にそんな意図はなかった。ただ、行動に起こす勇気がないだけだった。
彼女は煙草を口にくわえると、僕に顔を寄せて「ほら」と催促する。そこまでされて、顔を遠ざけてしまうほど、僕も愚か者じゃない。近づいた彼女の端正な容貌に、不格好にも緊張を覚えてしまうだけだ。
彼女の煙草の先端に、火のついた自分の煙草を合わせる。艶麗な彼女の伏目に魅せられながら、少し強く息を吸った。仄かに燃える炎は、僕たちの頬を、夕陽と同じ色に照らし出す。
火のついた彼女の煙草は、夕に焼ける煙となって揺れながら、静かに茜と同化していく。肺から毒を吐き出した彼女は、もう一度深く煙を吸うと、僕の方を向いて不敵な笑みを作った。
紫煙を吹きかけられる。甘苦い不健康な香りが、鼻孔をくすぐって周囲に霧散する。灰色に濁った視界が晴れると、満足げな表情を浮かべた彼女がいた。
「そういうことですか」
「そういうことだよ」
僕に煙草を勧めてきたときもそうだった。
彼女と初めてキスをした時もそうだった。
今夜もきっと、愛の融解した薄暗い閨で、彼女は蕩けるように笑うのだろう。
紫煙を纏った蠱惑は、煙草の灰を夕暮れに落として、そっと僕にキスをする。
彼女は意地悪だ。僕が煙草を吸い始めた動機を知っているくせに、返答の分かり切った質問をする。彼女の吐き出した紫煙が、夕陽で茜色に染まりながら僕をからかった。
「したことないですよ」
僕は馬鹿正直に答えた。思惑通りと言わんばかりに、彼女が口角を上げる。誤魔化すように自分の煙草を吸ってみるけれど、未だに慣れない不健康な煙は、むせてすぐに吐き出される。滑稽な僕の姿を見て、彼女はまた笑った。
顔が熱くなる感覚を覚えて、彼女から顔を逸らす。無機質なベランダの向こうに広がる夕陽は、ビルの隙間から茜色を差し込んできて、直線的な影を街に落としていた。
「君は可愛いね」
「ん、え」
慣れない褒められ方に、躓いた言葉が零れる。「貴女ほどでは」なんて咄嗟に返してみたいものだと、喉の痛みに泣きながら哀しくなる。もっとも、僕は彼女のことを、可愛いという言葉では形容できない。格好いいなんて、そんな言葉で、空虚な憧憬を抱き続けているのだから。
灰を落として、もう一度フィルターを口につける。今度はむせないように、ゆっくりと。彼女は僕の顔を見て薄く笑いながら、十四ミリの煙を肺に入れていた。
「最近は電子タバコも増えてきたから、シガーキスってあんまり見ないんだよね」
言いながら、彼女は煙草を叩いて灰を落とす。計算されたような美しい仕草に、一々視線を奪われてしまう。細く伸びた指は、厭に艶めかしい。
「電子に変えないんですか?」
僕が問いかけると、彼女は口元に運んでいた煙草を離し、「んー」と楽しそうに唸る。考えることすら愉しんでいるような、そんな表情だった。
「したいんだよ。シガーキス」
僕を煽るように、自分の唇をフィルターで叩く。「そっちじゃないでしょう」という言葉は、痛む喉の途中で消え去った。代わりに「なるほど」なんて、薄っぺらな相槌を打つ。言いながら、不器用な自分が恥ずかしくなった。
煙草を吸い終えた彼女は、まだ半分ほど巻紙の残った僕の煙草に視線を落として、「もう一本吸おうかな」なんてあからさまな気遣いを見せる。箱から一本取りだす彼女に、左手で弄んでいたライターを向けると、「いらない」と断られた。
「君は察しが悪いのか、意地悪なのか、どっちなの?」
火のついていない煙草を、人差し指と中指で挟んだまま、フェンスに肌白い肘を立てて、彼女は呆れたように目を細める。光を飲み込んだ黒い瞳が、薄くなった瞼の奥から、冷めた色で僕を見据えた。
察しが悪いわけじゃなかった。けれど、意地悪をしているつもりもない。結果的に彼女を困らせているだけで、僕にそんな意図はなかった。ただ、行動に起こす勇気がないだけだった。
彼女は煙草を口にくわえると、僕に顔を寄せて「ほら」と催促する。そこまでされて、顔を遠ざけてしまうほど、僕も愚か者じゃない。近づいた彼女の端正な容貌に、不格好にも緊張を覚えてしまうだけだ。
彼女の煙草の先端に、火のついた自分の煙草を合わせる。艶麗な彼女の伏目に魅せられながら、少し強く息を吸った。仄かに燃える炎は、僕たちの頬を、夕陽と同じ色に照らし出す。
火のついた彼女の煙草は、夕に焼ける煙となって揺れながら、静かに茜と同化していく。肺から毒を吐き出した彼女は、もう一度深く煙を吸うと、僕の方を向いて不敵な笑みを作った。
紫煙を吹きかけられる。甘苦い不健康な香りが、鼻孔をくすぐって周囲に霧散する。灰色に濁った視界が晴れると、満足げな表情を浮かべた彼女がいた。
「そういうことですか」
「そういうことだよ」
僕に煙草を勧めてきたときもそうだった。
彼女と初めてキスをした時もそうだった。
今夜もきっと、愛の融解した薄暗い閨で、彼女は蕩けるように笑うのだろう。
紫煙を纏った蠱惑は、煙草の灰を夕暮れに落として、そっと僕にキスをする。