8.阪神淡路大震災を経て、変わった神戸の地

おはようございます。

2020年1月17日、今日は阪神淡路大震災から25年の日です。

私は神戸の、特に当時被害がひどかった地域で育ったため、阪神淡路大震災に関しては、実際に被害には合っていませんが、幼いころから授業や地域の人のお話で、深く関わってきました。

この震災は、町の姿だけでなく、町の人々の価値観も変えるほどの、大きな出来事だったといいます。

ぐちゃぐちゃになった家々、声が聞こえるのに助けるすべがなく、そのまま火に飲み込まれた命、失われた町の商店街。

そんな悲劇の中で、神戸はたくさんのことを学びました。

それは、私の住んでいた地域に実際住んでみたらわかるでしょう。

まず、町の公園はすべて防災機能が備わっています。また、小さな地震があると、ベットのそばに靴を置く習慣があります。ほかにも小学生のころは、家の近い人で班が作られ、毎月「地区班集会」というものを行い、地域のつながりを深めるべく、班のみんなで放課後に遊び、家まで集団で帰るという決まりがありました。

これはほんの一部にしかすぎません。地域の方々にとって震災はとても特別な経験なのです。

その経験もあってか、神戸ではボランティア活動が盛んで、私も東日本大震災の時にクラスのメンバーと「何かせなあかんな」と、募金活動をし、手紙を添えて東北の小学校に送ったことがあります。

また、私には、1月17日になると必ず思い出す人がいます。

それは、地域で一番顔が広い男、プチ有名人のYさんです。

当時中学生だった私に、彼は言いました。

「俺な、昔めっちゃ亭主関白やってん。威張り散らかしてたわ、でもな、俺を変えたんは震災やな、たくさんの人と支え合う中で、そんなんじゃあかんって思った。」

優しく、フランクなことで知られていたYさんの意外な過去に、私は改めて震災の力を感じました。

震災が与えたのは悲惨な思い出だけではありません。たくさんの知識も残していきました。

その知識や経験を残していくことは、次世代を担う私たちの役目なのではないでしょうか。

いま、私の住んでいた地域はマンションが増え、地域の雰囲気が変わってきているといいます。私はこのことに危機感を覚えます。

神戸の地の下に断層があることは、この先も変わりません。つまりはまた震災が起こりうるということです。

その時、また同じ被害が繰り返されては、いけません。

防災の知識、皆さんはありますか。地域のつながりは、ありますか。

自分には関係ないと思っていませんか。


最後まで見ていただき、ありがとうございます!



No Name
2020.01.20

初めまして。
Pando運営事務局の福留と申します。

私は東日本大震災の際、授業中の教室が強烈に揺れたことを今でもはっきりと覚えています。(震源地から遠い地域に住んでいましたが、ものすごい揺れでした…)
阪神淡路大震災も同様に、経験した人にしかわからないことの方が多いかもしれませんが、他人事だと思っていてはいけないですよね。
防災の知識をつけたり、できることをしていくべきだと改めて感じました。

これからは「同じことを繰り返さないためにはどうしたらよいか」を考えて行動していこうと思います。大事なことに気づかせていただきありがとうございました。

小野山 智子
2020.01.31

初めまして。
コメントありがとうございます。

災害の風化は、これから起こるであろう災害の被害を助長させます。
いくら建物の防災対策をしても、私たちの危機感や知識が足りなければ、また同じような被害が起こってしまうかもしれません。

「同じことを繰り返さないためにはどうしたらよいか」を考えるきっかけになることができてとてもうれしいです。
ありがとうございます。

岩尾俊兵
2020.01.18

人の繋がりは希薄になる一方ですから、そんなときにもう一度災害が起こったらどうなるのだろうと思います。
災害が起きたときこそ普段眠っていた人の繋がりの力が目覚めるのかもしれませんが…。

小野山 智子
2020.01.18

コメントありがとうございます。
人の繋がりの希薄化、もっと危機感を持つべきなのかもしれませんね。
一方でSNS上の人の繋がり方は多様になっていて、やはり人は人と繋がることが必要な生き物なのかも知れません。
普段眠っている人の繋がりのちから、必ずあると思います。
その力を発揮する力を人々が失っていないか、私は少し不安です。