「オートクチュール」という言葉を、
一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
今回は、フランスで生まれたオートクチュールについて皆様にご紹介します!
- 「オートクチュール」とは
- オートクチュールとメゾン
- オートクチュールの父
- 偉大なデザイナーたち
- 参照
1.「オートクチュール」とは
オートクチュールとは、19世紀後半のパリで興った高級注文服製造のシステムのことです。もともとは富裕層を対象としていましたが、第2次世界大戦後に既製服産業が次第に隆盛していく中で縮小していきました。*2
「オートクチュール」という名称は、1945年からフランスのクチュール連盟によって法的に保護されています。*3
2.オートクチュールとメゾン
オートクチュールを手掛けるブランド=メゾンは、クチュール連盟に加盟することが義務付けられています。
春夏シーズン(1月下旬)と秋冬シーズン(7月下旬)の年に2回、パリで新作の発表を行います。*2
これがかの有名な、パリ・ファッションウィーク、パリコレです。
加盟候補のメゾンは、コレクションごとに常任スタッフが少なくとも20人以上いるメゾンのアトリエで、手作業によって25着の作品を作ります。*3
3.オートクチュールの父
Charles Frederick Worth ↑
オートクチュールの父とされているのは、19世紀末イギリスのデザイナー、
シャルル・フレデリック・ウォルト氏です。彼は世界で初めて、生きた人間をモデルとして自身の作品を発表しました。*3
4.偉大なデザイナーたち
1950年代から1960年代にかけて、クリスチャンディオール(Christian Dior)や
イヴサンローラン(Yves Saint Laurent) などのデザイナーの影響が広がり、
特に60年代の「既製服革命」は従来のエリート意識に基づくファッションの概念を変えました。*3
1962年にメゾンを設立したイヴサンローランは、女性にパンツスーツを着せるという取り組みを行いました。当時は女性がパンツスーツを履くことは法律で禁止されていたのです。
14世紀に確立されていた「男性はズボン、女性はスカート」というファッションにおける男女の性差の見直しを押し進めて、女性も男性もズボンを着用する時代が訪れる契機となりました。
そのようにして女性たちに力を与えたのはイヴサンローランですが、それよりも前に女性たちを解放していたのは、ポール・ポワレ(Paul Poiret)とガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)でした。*2
ポワレは、女性たちのコルセットできつく縛り上げるファッションをシンプルで軽いものに変え、シャネルはより体にフィットする新しい素材であるジャージー素材を取り入れました。*1
「コード、規範を破る」というのがオートクチュールの目的でもあります。
既製服の隆盛で勢いを失ったオートクチュールですが、今でもパリでは大切に保存されている芸術なのです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☺
5.参照