わたしとフェミニズムについて、書こうと思います。ヒストリーとかとかぶる部分もありますが、是非、最後まで読んでください。
私は小学4年から5年中国・上海に住み、現地の中学校で2年間中国語を学んでいました。自分がフェミニストになった時期を挙げるなら恐らくその2年間だと思います。異なるバックグラウンドを持っていたり、国籍が違ったり、中国語が話せるかどうかも違う。そんな環境下で差別はほとんどありませんでした。あったとしても授業でレベルわけとか、女子の制服はスカートであることくらいでした(それでも制服は週に一回しか着なかったし、そのときも体育用の制服で大丈夫だった)。たとえ転校生が中国語が話せなくても英語で話しかけたし、たとえ友達が宗教の関係で食べれるものが限られていてもみんなで食堂のメニューでどれが食べれないかを調べました。ゲイの先輩もいて、私はよく一緒に服を見にいくこともありました。国籍を意識することはありましたがそれは相手を知ろうとする上でのことでした。例えば名前の特徴(日本人は佐藤っておおいよねとか)やどんな国民性があるかについて話すときです。そこでは人を区切るというより、一人一人がに特徴があり、「この人とあの人は共通点(例えば国籍・性別が同じ)がある」みたい捉え方で異文化が共存していました。自分もその捉え方になんにも違和感はなかったし、無意識に馴染んでいっていました。
その環境から日本という地にもどったとき、私は現実を知りました。私の通っていた学校ではああして誰かが差別で傷つくことのない環境だったけれど、世界に目を向ければ中国全土がそうだったわけではなかったし、世界でも差別のない国なんてないことに気づきました。特に日本に戻ってきてからは、意味があるのか問いたくなるような校則(一番わからなかったのが手首にヘアゴムつけてちゃだめっていう校則でしたね笑)に目がいくようになり、だんだんと自分が気づいていなかった差別や偏見を見つけました。例えば髪を染める中学生はヤンキーだとか、女性が働いているとすごい・えらいと言われるのに男性だと言われないとか。自分が知らず知らずのうちに偏見を持ってだれかと接していたのではないかと思いはっとしたし、それを変えたいと強く思うようになりました。
そんな中、社会問題に立ち向かう中高生に出会います。少々複雑なのですが、上海から戻ってきたタイミングが中途半端だったため、私は一度公立の中学に入ってから、別の帰国生の多い学校を受験し、学年始めにそちらへ転校したという流れです。その受験した学校は、ボランティア活動などにも積極的で、さっき言ったような社会問題に対しアクションを起こしている子もいました。そこから私にもできることがないかと考え、友達と意見を交わしたり様々な社会活動をする大人と接したりしているうちに、フェミニズムという言葉を知ります。一番最初にそれを意識したのは学園祭でこももリーダーを務めていた性差別や偏見をテーマにしたブースの運営に参加したことかもしれません。自分が今まで感じていた「違和感」にぴたりとはまり、それ以来自身はフェミニストであると思い始めました。こももに誘われてimIに入ってから、その意識はより強くなったような気がします。そうして、自分にできることを見つけて活動していくようになりました。
わたしには自分の軸となるものがいくつかあります。フェミニズムが自分の全てだとは言えません。それでも、差別、偏見そういうもののに直面すると心拍が上がってどこからともなく怒りが溢れてきます。だから自分は発信をすることにしたし、これからも続けたいと思っています。こういう活動をしていると、少なからず「すごいね」という言葉をかけられますが、シンプルに考えたらおかしいことをおかしいと言っているだけです。考えを巡らせて、声をあげるかあげないかの差でしかないと思っています。インスタのストーリ、ツイッターのつぶやき、今日からでもできることばかりです。これを読んでいる皆さんはすでにアクションを起こしている人も多いかもしれませんが、イムアイの活動を見て考える機会が増えたり、発信を始めてくれたのなら本当に嬉しいです。