初任給入った記念日

初任給が入った。正直かなり嬉しい。銀行口座のアプリを見ることが趣味な僕からしたら、ディズニーランドに2回行けるのと同じくらい嬉しい。

電車に揺られながら、お金のことを考えてみる。携帯代、家に入れるお金、付き合いで入らざるを得ない組合費…。新しく通帳に刻まれた数字から引き算をして、その余ったお金からいくら貯金に回すか、と言った具合だ。

貯金を例えば月5万円すると、年間12ヶ月で60万円貯まる。三年間実家暮らしを続けると、180万円貯まる計算になる。

「おお、結構な額じゃないか?」と思う。

でも待てよ。何のために貯金するんだっけ、と頭を少し先に進めてみる。そして、未来で起こるかもしれない、「もしかしたら」を頭の中に太字で書き出してみた。


すると、一行目にくるのはやはり「結婚」の2文字だった。今までは仰々しく思えたこの人生のメインイベントは、あと数年の出来事になるまでに近づいてきているのかもしれない。あれだけ遠く思えていたのに、お金のことを考えると、ぐっとリアルな距離に思えてしまう。

すると、結婚のためにお金を貯める、ということに何故か違和感のようなものを覚えた。違和感とも違う。目覚めてすぐに忘れてしまった夢を思い出すときの、あのむず痒さと似ていた。

違和感ほど、言葉に起こすのに難しいものはない。しかし、頑張って言葉にしてみると、つまりこういうことである。


例えば、今電車で目の前に座っている人と、なんやかんや色々あって、結婚したとする。そうすると、一生懸命に働いて貯めた5万円ずつの貯金と、これから稼いでいく予定のお金を、この人との生活に使うことになる。

でも、僕の貯金が無かったとする。それに加えて、僕の稼ぎがもっとずっと少なかったとしよう。そうしたら、その人は果たして僕を選んでくれるのだろうか。いや、選べるのだろうか。お金はやはり、結婚にとって大きな意味がある。

そうやって考えを進めていく先に「違和感」があった。

つまり、お金の動きだけを考えると、結婚とは、相手の人生を分割払いで買うように、僕には思えてしまったのだ。

買うという表現はあまりに生々しいし、上下関係を含んでいるように思えるから適切ではないけれど、「違和感」を伝えるには、これが一番近い言葉だと、思う。


これからの選択は、やっぱりどうしてもお金がついて回る。だからこそ、お金のことはきちんと考えなければなぁ。

そんなことを思いながら、10,000円もする焼肉のコースを友人と食べるために、僕は電車を乗り換えた。

やっぱ、肉はうまい。