前回のあらすじ
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コラム 【セイギを追いかけて】第0回 -前書-
「特撮」を語る上で、書かせないワード。
それは、「ヒーロー」である。
仮面ライダーでも、ウルトラマンでも、主人公がヒーローと呼ばれる姿は誰しも一度は見たことあるだろう。
しかし、昨今の特撮番組においてはその常識が覆されることがある。
実際の作品を例に挙げながら考えていこう。
- 「仮面ライダー龍騎」(2002~2003 テレビ朝日 東映)
この作品は複数の人間がそれぞれモンスターを従えた「仮面ライダー」になり、自身の願いを叶えるためバトルロイヤルを繰り広げながら、最後に残った一人を決めるまでのストーリーが描かれている。後の創作物に多大なる影響を与えた本作であるが、本コラムで注目すべきは、「仮面ライダー」を名乗る者達の人間性である。
新人ジャーナリスト、カフェの店員、大学生やフリーターといったごく普通の人間から、一流弁護士、社長、更には極悪犯罪者とそのキャラクターはあまりに多様である。
ここで、少し考えて欲しい。極悪犯罪人が「仮面ライダー」を名乗っていることを。
どう考えてもやばい事実である。剣を持ったヒーローであるべき存在が、バッタバッタと主人公たちを斬り伏せていく姿は、一般人を襲う姿は朝から子どもたちの目に写していいのだろうかと思うかもしれないが、見方によってはこれは正義の味方と同じ「力」を奮っているだけだと言われたらどうだろうか。
さらに近年の番組に目を向けてみよう。
- 「仮面ライダーエグゼイド」(2016~2017 テレビ朝日 東映)
- 「仮面ライダービルド」(2017~2018 テレビ朝日 東映)
これらの作品には世界の破滅を目論む存在や、自信の望む世界の構築のため、「仮面ライダー」に変身する極悪な輩が登場する。
「仮面ライダー」の名前をしておいて飛び出すセリフは、物騒なものばかり。おいおいマジかと言いたくなるがこれも「仮面ライダー」である。いわば、悪者ライダー。しかしこれもありなのだ。
このように、「ヒーロー」の名を冠した者は誰しも正義であると呼びにくい、そんな世の中になっているのだ。
そんな中、“特撮を創る”上でどうすれば「ヒーロー」を描くことが出来るのでしょう…
と、いう話に触れたところで今回ははここまで!!
次回!!
【セイギを追いかけて】
-ボクらのセイギはなに?-
お楽しみに!!
(京都特撮企画 ワタナベ)