置かれた場所で

こんにちは! 苗ぷろメンバーのめいかです☺️

今回の記事のタイトル「置かれた場所で」ですが

実はこれ、7月22日に朝日新聞さんの「ひととき」のコーナーで採用させていただいた記事のタイトルなんです...!

まさか採用させて頂けるとは...本当に有難く、そして嬉しい限りです。

記事を載せていただいてから様々な方にご感想をいただきました。

その上で改めて「置かれた場所で咲く事」について、今の自分の状況と重ねてじっくり考えてみました。

なので今回はその、「置かれた場所で咲く」という言葉について、私の考えを書き留めみたいな感じでお書きしたいと思います😊



記事でも書いたのですが、私がこの言葉をかけていただいたのは、この苗ぷろ活動中に(もちろんオンラインです!)自分の転勤族エピソードを話した時でした。

私の家は転勤族で、覚えている限りでは9回ほど引越しをしてきました。

特に幼稚園・小学校は1年単位で引っ越す事が多かったので、短い期間のお友達が多かったです。

そんな当時の私が心がけていた事は、出来るだけみんなに望まれる存在であろう!という事。

すでに出来上がった環境に入って行く事に、幼ながらに申し訳無さを感じていたからです。

でも、当時の私にとってそうする事は特にしんどい事でもありませんでした。

そういう望まれたキャラクターの上で自分が何を頑張れるか、楽しめるか、という事を考えて実践できていたからです。

しかし小学校を卒業し中高一貫校(中学と高校が一貫している学校)に入学してから次第に、当時の自分の行動を恨めしく思うになりました。

初めての6年間という長期間の人付き合いで、自分がどう振る舞えばいいのか、どういう風にみられたいのか、全くわからなかったのです。

「そもそもこれまでの自分に一貫性が無かったから、自分らしさがわからない。」「素の私ってどんな私?」「私っていわゆる、性格に裏表がある人間なのかな...。」

こんな風に悩み続けていたら、いつの間にか私は過剰に人にどう思われるかを気にするようになってしまいました。


そんな私にかけてもらったのが、

「『置かれた場所で咲く』って言葉がピッタリな方ですね。」

という言葉。

正直「えっ?」って思いました。これは本当に自分にかけていただいた言葉なのかなって。

でもこの言葉が何だか嬉しくて、自分の中で何度も反芻しているうちに過去のモヤモヤや自分に対する恨めしい思いが和らいでいきました。

そして、もしかしたら、自分は気づかないうちに「置かれた場所で咲く」をできていたのかなって思うようになれました。

「自分らしさは何なのか」という問いの答えはまだ出ないし、人の目を気にしてしまう自分はまだまだいるけれど、

「置かれた場所で咲く」この事ができていた自分がいるってだけで、ものすごく自信がつきました☺️

お世辞で言っていただいただけかも知れませんが、こんな素敵な言葉をかけていただき本当にありがとうございました🌷


最後に!一つだけ補足させてください!

私は、置かれた場所で咲くことだけが美しい事だとは思いません。

置かれた場所や、望んで行った場所が自分にとって苦しく感じるのなら、別の場所に移動すべきだと思います。

生きやすくするために自分の場所を選択して行く事は、普通の事。これは私がいつも心の中に留めておいている事です😊


長くなってしまいましたが、もしかしたらこの言葉は今の状況にピッタリなんじゃないかなって私は思います。

今、コロナの影響で活動する場所が制限されていますが、この状況下で私はどう花を咲かせられるかな🌷


私なりにのんびり花を咲かせて行きたいと思います😌

最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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