志の鬼神「玄洋社、頭山満翁」

僕が住むマンションの窓から見える場所に崇福寺というお寺があります。このお寺には1881年に設立された政治結社、玄洋社の総帥頭山満(とおやまみつる)や当時外務大臣だった大隈重信を爆殺しようとした来島恒喜(くるしまつねき)を始め玄洋社社員のお墓があります。


玄洋社は日本で初めて出来た右翼団体で「大アジア主義」をかかげ、社訓に皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」と唱え、当時欧米諸国の植民地にあったアジア各国の独立を支援しました。

玄洋社は、テロも含めた激しい政治干渉を実行する事もあり、有名な事件に1889年(明治22年)大隈重信爆殺未遂事件があります。

当時外務大臣だった大隈重信は、日本が幕末に結んだ不平等条約の改正をはかったが、その改正案は関係欧米各国に対し有利で且つ、かなり妥協的であつた為、日本では国民の反対運動が全国に広がりました。

大隈重信は決して自案を曲げなかった為、玄洋社社員の来島恒喜(厳密には玄洋社に迷惑をかけない様、来島は事前に玄洋退社し単独で行動を行なっている。)が大隈重信に爆弾を投擲し爆殺が未遂に終わると知るや、自身もその場で咽喉を斬って自決した事件である。

テロという手段を選んだ事は決して良いとは言えないが、人民権利を守ろうと行った行為と自決した来島の潔さに当時の強い日本人の魂を感じる事が出来る。

また後日、片脚を切断するほどの重傷を受けた大隈重信自身も来島の事を「爆弾を放りつけた奴を、憎い奴とは少しも思わない、華厳(けごん)の滝に飛び込み自殺する弱虫より、よっぽど偉い者と思っている。いやしくも外務大臣である我が輩に爆弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。」と語っている。

大隈重信もまた素晴らしい。


 歴史を振り返ると、大切な事が見えてくる。

命をかけてでも、志を貫く。

先人に学ぶ事が多くある。

今の自分は出来ているか?

時に考える事は大切である。

 欧米諸国に対抗し、アジア諸国を一つにまとめ発展させる為生涯を捧げた、玄洋社総帥、頭山満翁。博多には多くの強者が眠っています。この崇福寺は黒田家の菩提寺でもあり如水、長政をはじめとする黒田藩主のお墓もあります。


 僕の1日は、マンションからではありますが、頭山満翁、玄洋社の強者社員のお墓に向かい、手を合わせる事から始まります。

松下 耕三
2020.02.11

栁川社長のご覚悟を知り、勇気を頂きました。いつもありがとうございます!
私もこの事業に生涯を捧げ取り組んで参ります。引き続きお力添えをお願いいたします。

栁川 敏昭
2020.02.12

松下社長、コメントありがとうございます。
19年前ネオ倶楽部を設立して間もなくの頃、明治維新とそれに携わった人物の事を色々調べた時期がありました。
ネオ倶楽部を成長させる事に、無血で幕府を倒し明治という時代を創り、日本統一を時の人はどう進めたかに大変興味を持ちました。
昨年から松下社長・クインテット社・Pandoとお付き合いさせて頂き、改めて19年前の「志」を思い起こしました。
松下社長に、本当に感謝しています。
前進して行きます。
これからも宜しくお願い致します。