誰かを想い、駅のド真ん中で叫ぶことはできるか。

街頭募金をしている。毎週末、昼と夜の計4回。それでも足りないから平日も始めた。11月のことだ。

立っている時は、郵便ポストのような気持ちになる。きっとポストってこんな気持ちなんだろうな。過ぎ去る人々を見つめポツンと立っている。冷たい風が吹く。今日も静岡は寒いな。ニットとパーカーの上にトレンチコートを重ねるくらい。

声を出すのが恥ずかしい。久々の街頭募金だ。だれか知り合いに見られていないだろうか。仕事帰りのサラリーマンに横目で見られる。買い物帰りのおばあさんが細い目で看板を読んでくれる。存在に気づいてもらえるだけでも嬉しい。

「声の大きさラグビー部かよ」そう笑って過ぎ去る大人がいる。何とみじめだろうか。みじめなのはどっちだ。お前か、それともわたしか。

だんだん声が通らなくなってくる。ただでさえ低音なのに。となりで次期代表の麻衣が叫ぶ。麻衣の声は枯れ始めている。わたしなんて、まだまだだ。

途中で体裁などどうでもよくなってくる。誰にどう見られようと関係ない。私たちは私たちの想いを叫ぶだけ。子どもたちが性的搾取や虐待の被害に遭うことなく、自らの意志と努力によって将来の可能性を広げてほしい。その未来に私たちは貢献したい。

募金箱にお金を入れてくれる大人がいる。立ち止まって、鞄を開けて、財布からお金を出してくれる。顔を見てお礼をする。プロジェクトにかける想いがますます強まる。

この時代、街頭募金なんて古臭いだろうか。誰かのためを想い愛を叫ぶことができるのは誇らしくないか。あなたには、それだけ想えるものがあるだろうか。

私たちは今日も駅のド真ん中で叫びつづける。