11月5日の感想

11月5日の感想
若者ジャック
川村勇美(かわむら いさみ)さん
 餃子の歌を作曲し町おこしに
貢献した事で世界に一台しかない
餃子ギターを引っ下げて、人に
人生の美味しさと暖かさを届けて
おられます。

 今までに36曲の餃子の歌を作られ
た内の15曲が町おこしの曲です。

本日は「餃子の皮につつまれて」
愛しい人を暖かく包み込む溢れる
曲。

故郷。新潟の村上村の特産の
鮭を歌った「鮭の一生」
三千個の卵の中で海に出て産まれた
川に6匹しか帰って来れない鮭と 
ご自身の人生を重ねて一度の人生を
安全な生活に埋もれてしまうのは
自分らしくない!とのメッセージ
が短歌の五七調のリズムに乗せて
歌うというものでした。
吟遊詩人ですよね。

家族が病を患いご両親に感謝を
伝える曲。「つつがなしや」
歌詞にラーメンのチャルメラ、
食卓が広くなった事で寂しさ
を表現するなど、とても
勉強になりました。
ミュージックビデオに父役で
グレート義太夫さん。母役で
川奈ゆうさんと川村ご自身が
出演されているとの事。
川村さんファンは要チェック
ですね。

技術はあるのに不器用に奏でる
メロディーに心の琴線に触れる
感性豊かな歌詞が聴く人の
心を捉えるところが最大の魅力
だと感じました。

「ふきのとう」津波でご家族を
亡くされたご友人からの依頼で
書かれた曲。大半の方が移住を
勧める中で亡き父の畑を守り
福島県の阿武隈川(あぶくまがわ)の
流れの様に困難な自然と
そこで営まれるあるがままの
幸せを綴る曲を聴かせて
頂きました。

今日川村さんの純粋な心の歌を
聴かせて頂きいい日になりました。
ありがとうございました。

石山裕雅(いしやま ひろまさ)さん
郷神楽(さとかぐら)10代を継ぐ
宗家でいらっしやいます。
 
 神楽は神様に頼まれた伝統芸能の
祖であり能、狂言、歌舞伎の元と
なるもの。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)
が天岩戸(あまのいわと)に隠れて
世の中が闇一色になった時、
八百万(やおよろず)の神達が
知恵を絞り天鈿女命(あまのうずめ
のみこと)の舞により天照大神が
何事かと覗いた時に手力男命
(たぢからおのみこと)が石を
放り投げ宮崎県の高千穂(たかちほ)
から長野県の戸隠(とがくし)まで
飛んでいった天岩戸伝説が伝統芸能
、神楽の始まりとされています。

闇を光に変える救世主の芸能で
ある神楽。科学が重視される
昨今でも人間の無力感を痛感
する時は多々あります。

そんな折に神の存在を神の魂を
一時人の身体を使って可視化する
役割を担っているのが神楽師
であり、その神楽師を取りまとめ
ておられるのが石山太夫(たゆう)
さんなのです。

 疲れていても舞台に上がれば
神様のご加護があり自然と
身体が動くとの事でした。

 このことは5歳のご子息にも受け
継がれている様で普段の無邪気な
振る舞いとは思えぬ程の舞台に
上がれば神の子に変神される
そうです。

 古事記によれば私達は神様の
御霊分けの存在になりますので
神楽を舞う子供達は可愛いだけで
なく尊い存在であると認識し神様
の預かりものとして育てていく
事が天命とおっしゃっておられた
のが印象的でした。

 石山太夫との永代表札を掲げて
更なる精進と発展を続けられ、
神に祈りを人に祝福を!日本中に
広めて行かれる志しをお話し
頂きました。

今後は先人の英霊(えいれい)
[国を守って亡くなられた方]の
鎮魂の旅も考えておられるとの
事でした。

若者ジャックの川村さんの
質問により神楽坂と神楽の
関連性の話になり、若宮八幡神社が
あり関連がある事が半年前に
分かりこれから復興させる気運が
高まりました。
こういうのが日本道の楽しい
ところです。

繰り返し大切なお話をして頂ける
と記憶に定着し想いを繋ぐ事と
なりますので今後とも宜しく
お願い致します。
ありがとうございました。

小平尚典(こひら なおのり)さん
東京の表参道(おもてさんどう)で
4日間「あの日ジョブスは。」
本と共に写真展を開いておられ
ました。

小平さんの感じるスティーブ・
ジョブズ。日本人が当たり前だから
こそ気付かない大切なものを
ジョブズは京都の龍安寺
(りょうあんじ)の石庭(せきてい)
に来て人生と仕事の構想に
想いを馳せていたとの事。

禅、空の思想から感化され、
着想してシンプルで機能性の
高い製品を世に送り出して
いる原動力になっています。

人間性に不完全なのは誰しも。
やり遂げる力の強さで時代を
強く感じておいででした。

1985年ジョブズの拘りの製品を
作るにあたり会社の存亡を賭ける
わけには行かないと結果的に
辞職となる。

1988年10月12日ネクスト社
を立ち上げネクストキューブ開発
64ビットのワークステーション
を製作する。

パーソナルコンピュータは
差別もなく文句も言わない。

パーソナルコンピュータ(PC)の
開発は60年代後半のベトナム
戦争後の平和で自由な生き方を
模索する薬物とヒッピー(本能回帰)
思想がカウンターカルチャー
(反権威的文化)として起こり、
ヒッピーの教祖的存在の
ティモシーリアリー(人名)が
薬物の代用としてPCが始まった。

彼は元ハーバード大学教授で
「日本人は君たちの惑星で最も
進化した種族」
との言葉を残している。

PCは人に寄り添う機械。
ジョブズも上手く使うことで
対話ができるものと言っていた。

今ではアマゾンの奥地から
ニューヨーク、イギリス、日本
とiPhone一つで繋がる事ができる。

様々なガジェット[気の利いた。
真新しいの意味から使えるデジタル
機器やアプリケーションソフトを
指します。例えばiPhoneの時計や
計算機など]を開発。可視化して
使いやすく平和利用に貢献しよう
とした。

32才1990年当時に雰囲気が
変わりネクストでピクサーアニメを
開発し、ディズニーに売る事で
資金を集める。

1995年マイクロソフトがWindows
95発表。

1997年アップルに復帰する。
まだまだ聞きたいお話がいっぱい
でしたね。

ありがとうございました。

中継 対馬研修
日露戦争慰霊碑
日本とロシア両軍五千人の戦没者が
おられます。

1905年5月27日、対馬沖の海戦
があり翌5月28日に地元住民の救助
により多くのロシア兵が救われた。

1911年に東郷平八郎司令官
(とうごう へいはちろう)が揮毫
(きごう)[毛筆で書かれた文字]した
言葉があります。

「恩海義嶠(おんかいぎきょう)」
(大勝利を収めることができた海の
恩と山のように高く重たい人類愛を
忘れてはならないとの意)が刻まれ
ています。

日露戦争後の100年を記念して
地元住民とロシアの協力により
戦没者の死を悼み金属板に戦没者
名が刻まれました。

戦争の勝利より戦争になった事を
反省し、鎮魂の思いに手を合わせ
る日本人でありたいと思いました。

ありがとうございました。

名言ランナー
蛸島真美(たこしま まみ)さん
せんかわさとしさんの言葉
宇宙は地球の7倍時間が早く 
進んでいる。

人生はいつ終わるかわからない
成功とは時間との闘いだ。

情熱的な言葉ですね

ありがとうございました。
早朝オンラインゼミの感想
117件