12月4日の感想
片山 創(かたやま はじめ)さん
鳥取県の素朴な女の子Pai X2(ぺぺ)
を結成。お二人を22年間に渡り
受刑者の心を再修復させて
世の中で力強く生きてもらう!
という願いを込めてと家族や
友人と過ごす以上に長い時間を
共に継続して刑務所にて活動
されています。
慰問ではなく人生の再出発としての
きっかけになれば!という想い。
「彼氏や結婚で辞める事なく続けて
ほしい!」という誓いを立てて活動
されているところに命を掛けた
出家された僧侶のような印象を
うけました。
1000枚のCDが売れたらメジャー
デビューという目標を立てられて
先を見ずに足元だけを見て地道に
努力を積み重ねてこられ紅白に
注目を集めるも土壇場で話題性
のあるアイドルに出場枠を
奪われる経験もあり、志しを
理解してくれる処での活動に
専念されています。
アメリカでは無名であっても応援
する気質があるのに対し日本では
実績や刑務所という活動の場の
先入観により批判の方が多い。
おっしゃられていた事が
何とも残念でした。
人の見ていないところで着実に
回数を重ね、報酬の殆どが600キロ
の機材を乗せたワゴン車のガソリン
代に消えても継続しておられるから
こそ受刑者達の心を再修復して
世間の荒波に漕ぎ出す原動力に
なるのだと感じました。
ありがとうございました。
武田勝彦(たけだ かつひこ)さん
友人に誘われた講演会で台湾から
特攻隊として出撃された当時
18才の大橋茂(おおはし しげる)
さんの遺書を読んだ事をきっかけ
に鳥濱トメさんの孫の明久
(あきひさ)さんに出会い資料館へ。
様々の展示品。特に遺書を読まれ
人目をはばからず号泣され懸命に
生きてこなかった自分生き方を
英霊に詫びる涙であった事が後に
わかられた。との事でした。
鳥濱トメさん。孫の明久さん。
曽孫の健太(けんた)さんは特攻隊
の方達の思いを美化する事なく、
風化させてはいけない!
先人の豊かさで安心の出来る
祖国作りを後世に託しておられた
事を語り部として70万人以上の
方達にお話しされてきました。
知覧に来る事は家族、会社、
周りの方達の理解によって来られる
ところとおっしゃるところ。
語り部として同じ事を何度となく
伝えておられる鳥濱さん家族への
想いに心を寄せておられる竹田
さんに痛く感動しました。
手榴弾に5グラムの火薬に対し
250キロの爆弾と沖縄を二往復
半も出来る燃料を積み逃げられる
可能性も多くある中、国と家族
を思い飛び立たれた先人たちに
から学べる事は人、モノ、自分を
育てて大切に活かし切れるように
精進する事だと思いました。
ありがとうございました。
山近代表より
中村哲(なかむら てつ)さん
ご命日と題してお話し頂きました。
2年前の2019年12月4日
アフガニスタン東部にて医師の
中村哲医師始め同乗者5名が
何者かの銃撃を受け亡くなられた。
1984年から日本キリスト教海外
医療協力会からパキスタンの
ペシャワールに派遣され
ハンセン病の治療にあたっていた
がパキスタン政府の圧力で活動が
困難になりアフガニスタンへ
拠点を移し医療。灌漑工事。
井戸掘り。農業。学校開校。
など現地で必要と思う事は
即行動に移されていた。
日本では資金集めに奔走したり
国際貢献の功績が認められ
現地での活動報告を皇室に
された事もありました。
政府や他国に責任を追求する事なく
今に必要な事はなんなのか?
出来る事は何なのか?を
考え現地の人に協力を願い
率先して自ら動く
この事が多くの方に希望の灯火
となって一燈照遇万燈照国と
なりつつあった事でしょう。
慰霊碑は福岡県大牟田市と
アフガニスタンに建てられいます。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。
片山 創(かたやま はじめ)さん
鳥取県の素朴な女の子Pai X2(ぺぺ)
を結成。お二人を22年間に渡り
受刑者の心を再修復させて
世の中で力強く生きてもらう!
という願いを込めてと家族や
友人と過ごす以上に長い時間を
共に継続して刑務所にて活動
されています。
慰問ではなく人生の再出発としての
きっかけになれば!という想い。
「彼氏や結婚で辞める事なく続けて
ほしい!」という誓いを立てて活動
されているところに命を掛けた
出家された僧侶のような印象を
うけました。
1000枚のCDが売れたらメジャー
デビューという目標を立てられて
先を見ずに足元だけを見て地道に
努力を積み重ねてこられ紅白に
注目を集めるも土壇場で話題性
のあるアイドルに出場枠を
奪われる経験もあり、志しを
理解してくれる処での活動に
専念されています。
アメリカでは無名であっても応援
する気質があるのに対し日本では
実績や刑務所という活動の場の
先入観により批判の方が多い。
おっしゃられていた事が
何とも残念でした。
人の見ていないところで着実に
回数を重ね、報酬の殆どが600キロ
の機材を乗せたワゴン車のガソリン
代に消えても継続しておられるから
こそ受刑者達の心を再修復して
世間の荒波に漕ぎ出す原動力に
なるのだと感じました。
ありがとうございました。
武田勝彦(たけだ かつひこ)さん
友人に誘われた講演会で台湾から
特攻隊として出撃された当時
18才の大橋茂(おおはし しげる)
さんの遺書を読んだ事をきっかけ
に鳥濱トメさんの孫の明久
(あきひさ)さんに出会い資料館へ。
様々の展示品。特に遺書を読まれ
人目をはばからず号泣され懸命に
生きてこなかった自分生き方を
英霊に詫びる涙であった事が後に
わかられた。との事でした。
鳥濱トメさん。孫の明久さん。
曽孫の健太(けんた)さんは特攻隊
の方達の思いを美化する事なく、
風化させてはいけない!
先人の豊かさで安心の出来る
祖国作りを後世に託しておられた
事を語り部として70万人以上の
方達にお話しされてきました。
知覧に来る事は家族、会社、
周りの方達の理解によって来られる
ところとおっしゃるところ。
語り部として同じ事を何度となく
伝えておられる鳥濱さん家族への
想いに心を寄せておられる竹田
さんに痛く感動しました。
手榴弾に5グラムの火薬に対し
250キロの爆弾と沖縄を二往復
半も出来る燃料を積み逃げられる
可能性も多くある中、国と家族
を思い飛び立たれた先人たちに
から学べる事は人、モノ、自分を
育てて大切に活かし切れるように
精進する事だと思いました。
ありがとうございました。
山近代表より
中村哲(なかむら てつ)さん
ご命日と題してお話し頂きました。
2年前の2019年12月4日
アフガニスタン東部にて医師の
中村哲医師始め同乗者5名が
何者かの銃撃を受け亡くなられた。
1984年から日本キリスト教海外
医療協力会からパキスタンの
ペシャワールに派遣され
ハンセン病の治療にあたっていた
がパキスタン政府の圧力で活動が
困難になりアフガニスタンへ
拠点を移し医療。灌漑工事。
井戸掘り。農業。学校開校。
など現地で必要と思う事は
即行動に移されていた。
日本では資金集めに奔走したり
国際貢献の功績が認められ
現地での活動報告を皇室に
された事もありました。
政府や他国に責任を追求する事なく
今に必要な事はなんなのか?
出来る事は何なのか?を
考え現地の人に協力を願い
率先して自ら動く
この事が多くの方に希望の灯火
となって一燈照遇万燈照国と
なりつつあった事でしょう。
慰霊碑は福岡県大牟田市と
アフガニスタンに建てられいます。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。