5月27日の感想

527日の感想 
 シネマ日本道より阿蘇師範の
ご令嬢阿蘇早苗(あそさなえ)さん
お話し折、折角、昨日、山口県萩市に
ある玉木文之進(たまき ぶんのしん)
の庵におられる事にも関わらず、
 自分の話をしてしまい、機会を
活かせなかった事をこの場を
お借りして陳謝いたします。
皆様、誠に申し訳ありませんでした。
他人の振り見て我ふり直せ!
と思って頂けたら有り難いです。


若者ジャック
笹山あやめ( ささやま あやめ)さん
 4人兄弟の長女という事もあり
心配りとお子さん好き。という事も
あり「保育士」さんの夢を叶えて
おられた。しかしながら、自分の
思いより周りを優先してしまって
いる自分を180度変えてくれたのが
たまたま友人に誘われた
女子プロレスの世界。

単身千葉で生活されて
154センチと言う小柄ながら
女子選手一人で男子選手と
日々練習する男女混合の「2AW」
と言う団体に所属されています。

4月末より無差別級チャンピオン
シップの挑戦資格を賭けて
経験20年の選手と身長190センチ
以上の二人の選手を日頃の弛まない
トレーニングで培われた持ち前の
スタミナと工夫で一瞬の隙を
突いて勝ちをおさめられ、
いよいよ5月29日真霜 拳號
(ましも けんご)選手と対戦し
本当の実力を試される時が
刻一刻と迫っています。

世間では利他の精神が多くの業界で
取り立たされ自利の精神の旗色が
陰りを見せる中で相手の攻撃を受け
ならも勝機を見出し自分を輝かせる
事で多くの方達に勇気と元気を
与える笹山選手自身も感銘し
この世界の虜(とりこ)になった。

自利とか利他とかではなく、
万物、万事に対して全身で感じ、
徹底的に思考錯誤を重ねて工夫し
誠実に物事に子取り組む事が
人を惹きつけ、人を感動させ、
勇気と希望を与えるのではないか。
と思いました。

保育士の経験も活かして時折、
子供たちとも関わるお手伝いを
される中で、「素直にありがとうを
言える事の大切さを子供達に伝えて
行きたい!」と言われていたのが
印象的でした。
 
心からの素直な「ごめんなさい」と
「ありがとう」が日々を笑顔に
する源であると笹山さんの癒しの
声と明るい笑顔は春の木漏れ日
のように子供たちを温かく
包んでおられるのだろうと
感じました。

想いが強く純粋であれば夢や目標は
形を変えて幾つでも叶っていくん
ですね。
ありがとうございました。

うがい友義(うがい ともよし)
 東京都千代田区議会議員。
リクルートの営業から築地(つきぢ)
にて家業の海苔の卸売業を
手伝ううちにコロナ禍の不況により
即時現金となりお客様とも対話が
海苔の価値を知って貰える最適な
場所として話すうちに声もよく 
通り、周りの方達と関わるうちに
この地域を良くしたい思いと推薦の
後押しもあって出馬し見事に
当選されました。

 選挙に出馬するには党員集めを
する事が必要で週に30人と
目標を定めて活動されました。

 一つ後輩、一つ先輩は頼まれ
事の1番断りにくい関係で、「協力してくれないか?」
と声を掛けた。
うがい議員は町の為、区民の為、
とは言いながら、自分がどう見られているかを気に
している自分に気づかれ
、本音で話す決意をされた。
「人集めをしてくれないか!」と
後輩に伝えたところそれをきっかけに
あちこちから援助の声が掛かり瞬く間に目標を
達成し出馬、当選の運びとなり現在に至った
との事でした。

人の想いも理解しようとする事も大切ですが自分の
本音をかっこもつけず気付き素直に言葉にする事
で一人ではなし得ない結果を招く事を教えて頂きました。

地域を良くする為に出馬するので
沢山の党民が必要ですから皆さん
人を集めに協力してください。

これが今回のうがい議員の本音
だろうと思います。

人に物事を伝えて行動してもらう 
為には「何の為に、具体的に何をして欲しいのか?」を
伝える事が肝要なのだと教えて頂きました。

今後展開としては
コンソーシアム:[互いに力を合わせて
目的に達しようとする組織や人の集団。共同事業体。]
を活かして秋葉原(あきはばら)などで
NFT(非代替性の印)[デジタル芸術や
書籍の著作権を示すもの]やメタバース:
[インターネット上に存在する
3次元の商業空間]を学ぶ事で
街をさの可能性を広げて
いくとの事でした。
自分の想いも相手の想いも汲み取れる
ように考え、自分のいる場所の
諸問題をどうやって解決する方法を
模索する事からどの分野においても
国が豊かになる道のりは始まる
と感じました。
ありがとうございました。

藤屋信勝(ふじおか のぶかつ)さん
 本日1905年5月27日は日露戦争に
おいて当時世界最強の呼び声も高い
ロシアのバルチック艦隊を撃破
した日。

ロシア軍が青森県津軽(つがる)海峡から攻めてくるのか、
長崎県対馬(つしま)から攻めて来るのか分からず
もし、何か情報が分かれば知らせて
欲しいと国民に呼びかけていた。

沖縄県宮古島(みやこじま)で
ロシアのバルチック艦隊の
動きに気づいた奥浜 牛(おくはま うし)を始めとする
21から29歳の 若者5人が東京に知らせる為無線機の
ある石垣島(いしがきじま)までサバニと言われる
丸木舟を170kmの距離を15時間漕ぎ続け、更に30kmの
山道を走破して東京に打電したと言われいる。
結果としては軍の方ならの情報が先に届いた。との事
でしたが、若い国民が国の一大事だと自分達の危険を
顧みず奔走した姿勢は感動てきでした。また唐行き
(からゆき)さん19世紀後半からアジア諸国に出稼ぎ
出ていた労働者たちも日露戦争の
折に日本政府に寄付などをして
いた事が言われています。

価値観の多様化が叫ばれる中、
国民一人一人が国を守る姿勢を
久松五勇士(ひさまつごゆうし)
や唐行きさんに学び近代国家の
一つの物語として伝えていく事、
そしてこれからの日本について
私達がどう考えていく事が
肝要であると教えて頂きました。

萩原 高行(はぎわら たかゆき)さん
鹿児島県指宿市(かごしまけん
いぶすきし)のうなぎの池より
中継頂きました。

明治6年征韓論(せいかんろん)
に敗れて政府を去り鹿児島県指宿
市にてお供二人と13匹の犬を連れて
時には温泉に浸かりながらゆっくり
養生されたとの事でした。

生涯に80首の漢詩を認(したた)
めた西郷隆盛(さいごうたかもり)
その内の「山行(さんこう)」を
ご紹介頂きました。

猟犬などを連れて道を行くよりも
世間の人達の心の中を行く事の方が
よほど険しいと言う意味でした。
ありがとうございました。

石田 学(いしだ まなぶ)さん
山口県萩市(やまぐちけんはぎし)
にあります松下村塾(しょうかそん
じゅくより)中継頂きました。

幕末期と違い随分都会へと
変貌を遂げたとの事でしたが
吉田松陰先生(よしだ しょういん)
先生の「至誠にして動かざるものは、未だこれ
あらざるなり」
真心を持って人に接する事を
信念しておられた事を
始めとして多くの劣等感や将来の
不安を持った若者に希望を与えて
天命を生き抜く強さを伝えて
こられた場所に想いを馳せること
ができたのは何よりの幸せでした。
ありがとうございました。

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