こんにちは! この記事をご覧いただきありがとうございます。
3年の早野徳馬と申します。
今回の記事ではまず自分の思うIIR(PALはその一部)について軽く述べて、自分がアジアに関心を持つきっかけとなったインドネシア渡航について紹介する形にしたいと思います。
時間の許す限りぜひ最後までご覧ください。
さて僕が思うIIRについてですが、僕はIIRでの活動はある意味単純ではないかと思います。
というのも、大抵の場合1年生はまず自分が面白そうだと思うプロジェクトやプログラム活動に「参加者」として参加し、思いっきり楽しんで最高の思い出を作ります。
そして2年生になり、自分を楽しませてくれたり、あるいは新たな価値観を提供し自分の世界を広げてくれたりしたそのプロジェクトやプログラム活動を、今度は「企画者」として作り上げ、後輩たちに託していきます。
このようなある意味単純なサイクルが70年程続いてきたわけですね。これはシンプルにすげえなって思います。
(あくまで活動の1パターンです。IIRは1学年数100人規模の団体ですので、人の数だけ関わり方があります。自分でやってみたいプログラムを始めることもできますし、そういった環境はすごく整っていると思います。)
現在、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で様々な活動が制限されたり、活動を中止せざるを得なくなったプロジェクトが続出しているといった惨状ではありますが、僕は自分の所属するプロジェクトに限らず、すべてのIIRの活動が継続していけることを願っています。
きっとみんなも、自分たちが経験してきた素晴らしいものを後輩たちにも味わってほしい、続けていってほしいと思っていると思います。
僕は特に役員をやっていたりするわけではないですが、様々な活動に携わってきました。
インドネシア渡航、三田祭チャージ、P.A.L.project、夏IWリバーサイドデイチーフなどなど、、、
上記以外にも、本当に様々な貴重な体験をさせていただきました。今度は「託す」側として、IIRのため、そしてPALのために自分のできることをやっていきたいと思います。
冒頭でも言った通り今回は僕にとって最初の大きなイベントであったインドネシア渡航(通称ネシア渡航)について紹介してきたいと思います。
(※前提として、今後同じものが継続していけるのかどうかはわかりませんので、あくまでこういった活動もしてるのか~程度でご覧いただくと幸いです。申し訳ありません。)
インドネシア渡航とは、簡単に言えば8月下旬から9月上旬までの2週間強、インドネシアの3都市(ジャカルタ、ジョグジャカルタ、バリ)をIIRのメンバー15~20人ほどで回るプログラムです。
語学力の面など、一切の規制がありません。IIRであれば誰でも参加することができます。(基本的に1年生と2年生のみ、1年生が大半です。
僕が参加したときは 1年13人:2年2人 男子6人:女子9人 でした)
僕は1年生のとき、つまり2018年のプログラムに参加しました。ちなみに2019年のプログラム参加者に話を聞いたら、2018年版とは異なる箇所が多々ありました。
まず最初はジャカルタです! ここでは慶應の倉沢愛子名誉教授(東南アジア研究の第一人者です)が所有していらっしゃるジャカルタ郊外にある大きな宅に泊めてもらい、日中は現地の暮らしを見学したり、インドネシア大学のISAFISという団体の学生と交流したりしました。
ジャカルタと言っても本当に郊外にあるので、上の写真のように宅の周辺は殺伐としていました。中心地は都会なのですが、少し離れるとこんな感じで目に見えて差が露わになりました。
ジャカルタの人口は東京と同じくらいということもあり渋滞がひどく、車は車線ガン無視だしバイクはわずかな隙間をガンガン抜いていくからめちゃめちゃ怖かったですね笑
細かいことを言うとキリがないので、特に印象に残ったことを書きたいと思います。
インドネシアには「隣組」という行政単位があり、いわば地域コミュニティが最強の国です。その範囲内でのすべてのことが長に管理されており、何かあればすぐ長に知らされ、それが情報としてすぐさまその範囲内に行き渡ります。
例えば僕ら日本人が15人も来ることは彼らからすれば異常なので、別の隣組の範囲内に行った際にはそれが住民に知らされたようで、現地の子どもたちも僕らが大丈夫な人だとわかるまでは警戒心を持っていました。その地域性の強さに驚いたのを覚えています。
そしてこの隣組は、日本に占領されていた時代に日本により導入されたもので、今ではそれが日本よりも強く根付いているとのことでした。面白いですよね。
ジョグジャカルタでのエピソードはほぼ観光だったので省略し、バリでの出来事をさらっと書いて終わりにしたいと思います。ここまで読んでいただいている方、本当にありがとうございます。あとちょっとです!
バリでは、最後の日にビーチで泳いだ以外は、なんと山奥の民家でのホームステイでした。
1人1家に泊まり、みんながそれぞれの家の人たちと自由気ままに過ごしました。
家の周りはこんな感じでした。めちゃくちゃのどかだったけど、狂犬病だけ注意が必要でした。僕の家のお母さんとお父さんは英語が通じなかったので、インドネシア語とボディランゲージでコミュニケーションをしました。案外いけるもんですよ、それにめちゃくちゃ楽しい。
日中はお互いの国の言葉をひたすら教え合ったり、ほかの家のみんなもバイクでドライブしたり、ビーチに連れて行ってもらったりと、色々な話を聞きました。東京での喧騒から離れたのどかな生活は、本当に最高でした。これはぜひ色んな人に味わってほしいなと思いましたね。
さて、最後駆け足になってしまいましたが、今回はこの辺で終わろうと思います。それまでまともに海外に行ったことがなかった当時の私にとって、このネシア渡航は刺激的且つ魅力的なものでした。事前にそれなりに向こうのことを調べてはいましたが、やはり百聞は一見に如かず、実際に現地に赴き生活することで様々なものが見え、また様々なことを考えられるようになりました。
2週間強も一緒に過ごしたメンバーは、今でもよく集まります。IIRは人数が多いので少数の活動が少ないのですが、こういったプログラムは少数で密なコミュニティができるのでそういった点でも最&高です。
これは去年の夏にネシア渡航の男子メンバーで行ったスペイン・モロッコ旅行にて、トマティーナ🍅というスペインのクレイジーな祭りに参加した時の写真です。楽しかったなあ。
随分長々と書いてしまいましたが、ここまでご覧いただいた方、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。ではまた👋
早野徳馬