お久しぶりです、Shunsukeです。
いきなり自分語りが始まりますが、私が望む世界の一つに「have toではなくwant toで動く世界」があります。
have toではなくwant toで動く世界
英語のhave toは「〜しなければならない」、want toは「〜したい」として、中学くらいで習った記憶があるのですが、皆様いかがでしょうか。
この両者の違いは、have toが外発的な動機なのに対して、want toは内発的・自発的なものですよね。どちらが良い悪いというお話はさておき、私は何事もwant toで動けるよう心がけています。何事も・・・です。
理由はシンプルで、私の場合have toで動くと熱量が持続しないからです。
熱量と聞くと、鉢巻きを巻いて勉強する浪人生のような「メラメラと燃え上がっている姿」を想像しそうですが(一生懸命勉強する人は好きです)、必ずしもそうではありません。
ある物事に対して「なぜやらなきゃいけないのだろう」「つまらないな」といったブレーキがなく、進み続けている状態も当てはまります。
ともかく、どこかでブレーキがかかってしまうのです。
ただし、「何事も」と書いたように、はじめはやはりhave toなものもあるのですね。
have toをwant toに変える
ということは、want toへの変換が行なわれているはずです。
have toをwant toに変えるとは、これまで気づけなかった価値に気づけるようになる、ということでもあります。
再び自分語りになってしまい大変心苦しいのですが、私は最近、馴染みのある企業の決算書を読むようになりました。
理由としては、デザイナーという自分の職種とは無縁の世界に見えたから・・・といいますか、単純に苦手だったからです。
大っ嫌いなんです。数字と漢字の羅列とか。
「やりなさい」と言われるまで絶対にやらないリストの一つに入ると思います・・・
ところがどっこい、参考書籍を読むと、ガチガチに構えた私をなだめるかのごとく「決算書には、企業の努力や苦労といったドラマが色濃く反映されているんですよ」と書いてありました。
(「決算書とは、貸借対照表と損益計算書と〜〜〜」という辞書的な説明ではなく、こうした別角度からの言い換えがあると「お?どれどれ」となりますね)
ふむふむ...たしかに同じ業界でも資産の内訳が全然ちがうな...
ほほう...ここってIT業だけだと思っていたら金融業もやっていたんだな...むしろ本業よりも利益が出ているな...
というか、ここって順調だと思ってたのに借金の返済に追われすぎじゃない?大丈夫ですかー!?
みたいな独り言がどんどん出てきます。
めちゃくちゃ面白いじゃないですか。←これも独り言
それからは、デザインの知識を活かして自分で決算書をグラフィック化してみたり、小売業の決算書を読んだあとは実際にお店に足を運んでみたり・・いつのまにか、勝手に自分であれこれやっていたんですね。
「この話って結局、はじめからhave toではなくないですか?」というのは当てはまるのですが、言いたいことはそうではありません。
「〜しなくてはいけない」と思えるのも、価値を見出せば「〜したい」に変わり得るということです。
先のエピソードは非常に小さな単位ではありますが、改めてwant toで動くとは「自分なりに価値を見出した上で行動をする」ということですね。
生きていると、どうしても「〜してください」という指示があったり、「自分と関係ない」と思えてしまう物事に触れる機会が出てきます。
それを「やりたくないな」「そうですか・・」で終わらせるのではなく、「これをやると何を得られるだろう」「ここに面白みがあるのか!」と考えてみる。
そうすることで、物事の多くは、意欲やワクワクをもって向き合えるはずなのです。
また、他人がやっていることに、より興味が湧いてくるはずです。
そして、各々がwant toをもって生きる世界、またそれを「面白いね!」「いいね!」と認め合える世界は、人間が生き生きと、正直な気持ちでいられる世界なのではないでしょうか?
ビジョンって必要ですか?
ここまでを踏まえて、もし「ビジョンって必要ですか?」と聞かれたら、私は正直に「必ずしもなくてもいい」と答えます。
たしかに、最初から「こうするぞ!」というビジョンがあって、そこに向かって真っ直ぐに進める人生、というのは立派に見えるかもしれません。実際、立派です。
ですが、それだけが人としての理想形か?というと、果たしてそうでしょうか。
本当にビジョンがある人はいいのですが、ない人もいます。
ない人が「必要だから必ず持ってくださいね」と言われてビジョン…ビジョン…と捻り出してできたものって、もし私だったら「(他人からみて)立派に見える姿」を出そうとしてしまいます。
それは逆説的に、「こうでなきゃ立派じゃない」っていうhave toが入ってくるように思うのです。
ただし・・・
ビジョンがあると
(2回目)もし「ビジョンって必要ですか?」と聞かれたら、私は正直に「必ずしもなくてもいい」と答えます。
ただし同時に、「あると最強だと思う」とも答えます。
すでに例えられていそうですが、ビジョンはコンパスのようなものだと思っています。
どれだけ真面目に生きても、頑張っても、100%自分の思ったとおりにいかないのは当然のことです。何をやっても上手くいかず、周りから否定される時もあります。
そこで、「もういいや」とか「そういう 考えもあるのか」とか、色々な受け止め方がありますが、その部分で差がつく(優劣ではありません)のが、ビジョンがあるか否か?だと思うのです。
いかなる状況に置かれても、「自分がどうありたいか・どういう自分なら納得できるか」という指針があると、自分の土台が揺らぐことはそうそうありません。
私で言えば「want toで動く世界」をビジョンの一つ(残したい世界)として掲げましたが、何があっても・何を言われても、少なくとも今「もういいや」と解釈することはありません。「(たとえ否定されても)この世に意味や価値がないものは存在しえないはずだ」と価値を見出すことはし続けるでしょう。
(ただし、様々な状況があるので「意味や価値がない」という言葉も、「コストに見合わない」といった意味では当てはまると思っています)
「こうありたい」という思いは、自分以外の様々な考え・価値観に触れつつつも、そうした外的なものに容易に影響されることのない、力強いものだと思います。
おわりに
長くなってしまいましたが・・・
- want toで動くと何事も意欲を持てる(いつの間にか持っていることも多々)
そのためには、価値(物事の面白み、周りへの影響など)に気づくこと - ビジョンは必ずしも持たなくてもよいが、あった方がいい。あると最強
というのが私の考えであり、心がけていることです。
何より地頭のよくない私が決算書を面白いと思えたのです、きっとあなたも多くのことに価値を見出せます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「have toではなくwant to」
偶然だけど、林君が読ませてくれた日に、営業部のYくんと、ほぼ同じやり取りをしてて驚いた。
牛尾「やりたいことはいっぱいあるんだけどねー・・・」
Y「やりたいことがいっぱいあるのは良いっすよ、やらなきゃいけないことがいっぱいあるより」
牛尾「・・・あぁ!確かにね」
ビジョンを考えるにいたっても、「やらされている」と捉えるのと、「やりたい」と捉えるのでは、恐らく全く結果が異なるなと思いました。
あとMVが素敵です。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり「やりたいことがあるけど◯◯」って、クリエイティビティが発揮されていて良い状態ですよね(実行の有無はまた別として)
できる限りwant toで動きたいものです。
>MV
これこそwant toで作ったものですので、お墨付きいただけて恐縮です・・・
have to →want to
英語の勉強だけでなく、考え、捉え方の勉強になりました。
そしてMVが可愛い・・・・!
コメントありがとうございます。
>MV
はゆさんからお墨付きいただいちゃっていいんですか・・・
メンフィス使うならここだって即決でした。