好きなものを当たり前に「素敵」といえたらいいなという話

皆さんは「好き」と思って真剣になれるもの、応援したいもの、考えるだけで生きているのが楽しくなるようなことはありますか?


仕事でも趣味でも人でも、中身は何でもいいと思います。

私は、これが楽しく生きる上での原動力だと思ってます。

ちなみに、ここからの記事の中身はほぼタイトルの通りです……意味深なタイトルを付けるセンスが絶望的にない……


好きなものを貫く人が羨ましかった学生時代

学生時代を振り返ってみると、"普通とはちょっと違う"という人たちが何人かいました。

学校の野球チームに、たった一人の女の子として入っていた子、いつでもオタク趣味全開で推しのことをいつも語ってくれた子、化粧が好きで、V系にどっぷり浸かっていた男の子などなど。

「女の子に野球なんて」「オタクとかキモイ」「男なのに化粧してるの?」

そんなことを陰でいう友人もたくさんいましたが、私は自分の好きなことを貫く人の方が素敵だな、と感じていました。

しかし、素直に彼らのことを認めるだけで「お前も変わり者だ」といわれるのが怖くて、なかなか本音を言い出せなかったのを覚えています。


一方の私はというと……どこまでも「普通」であろうとする人間でした。

趣味は周りの人に合わせて変えていたし、好きなもの=流行っていて周囲から浮かないものを選ばなきゃという強迫観念のようなものがありました。

いじめられるのも好奇の目を向けられるのも嫌だったので、流行りの音楽を聴き、好きでもないドラマを見て、浮かない程度にスカートを短くして、いい子ぶっているといわれないために適度に校則を破り……自分の好みや信念、意思よりも平穏な生活を最優先していました。


SNSで変わった価値観

私の中での考えが大きく変わった要因はSNSの存在が大きいです。

そこには、以前にあこがれた人たちのように、好きなことを表現しながら楽しそうに生きている人がたくさんいて、それに対して「素敵だね」と素直に言える文化がありました。

今まで、自分の家族・友達・学校の仲間だけのコミュニティで完結していた世界が大きく広がり、

「○○を好きな人はダサい」

「女なら△△を趣味にするのがいい」

「バカにされないために××が好きって言っておこう」

そんなことを気にして生きてきたことが急に恥ずかしくなりました。


でも好きなものを「好き」っていうのは結構難しい

そうはいうものの、急に自信を持って自己表現ができる自己肯定感激高の人間になれるわけはありません。

やっぱり他人の目は気になるし、バカにされないか不安だし、周囲から浮きたくはない……という複雑な感情はいつも持っています。


さらに、自分が好きだからといって、他の人にその感情を理解してもらえるとは限らないし、逆パターンもあります。

もう私は誰とも分かり合えない……ダメだ……山奥で誰ともかかわらず過ごしたい……と思ったことも何度もあります。


理解出来なくても、尊重はできるはず

ここでやっとビジョンの話をするのですが、わたしのビジョン(手に入れたい未来)は

個人の「好き」や「自由」を尊重しあえる環境づくり

です。


個人的な重要ポイントは「理解しあえる」のではなく「尊重しあえる」ことです。

たとえお互いに理解できなくても、

「あなたはそれが好きだからこういうことしているんだね!素敵!」

と言い合える世の中になれば、女だって野球チームに堂々と入れるし、オタクだろうが何だろうが趣味の話を生き生きと話していてもバカにされないし、男でも堂々と化粧して街を歩けるのでは🤔🤔と思っています。

(書きながら思ったんですが、これってPandoの「ビジョンに共感」の機能にも似てますね)


私にできることはちっぽけですが、ひとまずはこの尊重しあえる環境づくりのために何ができるかを日々考えながら生きていきたいなと思います。

Qwintet life
182件
No Name
2020.08.31

そうなんですよねー。好きなものを好きと堂々と言えない社会にどうしてなってしまったんだろう?と思います。

それは、鎖国時代が長くまた島国であった日本が故に…なんでしょうね。

すっかり世界のものが入り混じる日本となり、多様性が認められてきた今だからこそ、いとうさんのビジョンがかなう日はきっと来ますよね!

No Name
2020.08.31

なかがわさん、コメントありがとうございます!

>鎖国時代が長くまた島国であった日本が故に…
確かにそうですね……日本はやはりいい意味で仲間意識が強く、悪い意味で排他的だなと思います。

徐々に変わっていますよね!私も世間を変える手助けができないか、いろいろと考えたいと思います😊

Y.U
2020.08.31

なかなか難しい話だね・・・
俺も俺で、高校時代は「ド」が付くほどのオタクだった訳だけど、ひとり、同じものが好きな友人がいたので、割とオタク人生を謳歌していたようにも感じるけど、それに対してオープンだったかと言うと、あまり知られたいとは思っていなかったな。
この歳になって、この立場になって、理解することや尊重することの意味もわかったけど、それを実行することの難しさにも直面していて、必ずしも全てできているとは感じられない。
実はデザインレビューなどをしていても同じことを思うんだけど。
尊重するためには、やはりある程度以上、そのバックボーンや考えの根にある事柄に触れざるを得ない場合もあって、その匙加減は人それぞれ違うよね。
ただ、重要なのは、「知ろうとする」「観ようとする」かどうか、っということかな?というところまでは割と明確に分かっている。
なので、つとめてメンバーの話を聞く時間を設けようと、個人面談を始めたんだけどね。

No Name
2020.08.31

牛尾さん
コメントいただきありがとうございます!
私も趣味などをオープンにできてるわけではないので、そのあたり難しいですよね。
個人的には、「何か否定的なことを言われるかもしれないし念のためいわないでおこう」とう予防線みたいなものがどうしてもあるんじゃないかと思っています。
最近は多様性や個人の自由を認めよう!の流れができているとはいえ、「認めないと逆に時代遅れの考え方と思われるかも」という流れになってしまっているなとも感じていて……

「知ろうとする」「観ようとする」というのは私も大事だと思います。まずは頭ごなしに否定せず、歩み寄ろうとする意思表示からはじめなきゃいけないな……と牛尾さんのコメントを読みながら思いました。貴重なご意見ありがとうございます🙇‍♀️

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