皆違って、皆良い

はじめに

私がなぜ「自由であれるように」というビジョンを掲げるに至ったか、「自由」って何だろうか、そんなお話を。
(※引くほど長いです。)

 「自由」と言うと、なんだか自分勝手で適当と捉えられそうだけれど、そういうことではないと先に断っておく。
ここで書くのは、大きく、「自由」のお話と、「生きづらさ」のお話と、「価値観」のお話。

「自由」ってなんだろうね

まどろっこしいので先に結論から述べておく。
「自由であれるように」
というのは、「自分自身が自由でありたい」というのと、「他者の自由を認められる世界であってほしい」という2つの意味を込めている。
(ざっくり言えば、もっと寛容になろうよみんな~、って感じ。)

 わかりにくいので、本題。

「女の子なのにカワイイもの好きじゃないの?」
「文系なのに大学院進学するの?」
「教育を勉強したのに先生にならないの?」

これは私が今までよく言われたことの一部。
言われるたび、「私って変なのか」と落ち込み半分、「外野は黙ってて!」いう反発半分。(相手の言い方にもよるけれど。)
それは「自分がありたい姿」と「他者がイメージする私の姿」が食い違うことに悩んでいたから。
(メンタルがお豆腐なので、批判が怖くて周りが何と言おうとこれがわたし!!って公言するのが怖いというのが本音。)

だから、自分の思いを言える強さと、それを受け入れてもらえる環境があればな~と思うようになった。

それが、「自由」について考え始めたきっかけだったし、「自分自身が自由でありたい」かつ「他者の自由を認められる世界であってほしい」というビジョンを抱くに至った理由でもある。

「生きづらさ」のお話

先に「自分自身が自由でありたい」という点について、「生きづらさ」という観点からもう少し詳しく。

大学院1年生の夏、とある講義を受けていた時のこと。講師として招かれていたワーカーズコープの職員さんがふと私に尋ねたことがあった。

「生きづらい、って思ったことある?」
「あります。」
私が即答すると、職員さんはとても驚いた顔をして、
「すごいね。」
と言った。

私からすれば、すごいってなにが???という気持ち。

すると、
「今の時代、生きづらいとしても、生きづらいと声に出せる人はほとんどない。困っていても、助けてほしくても、それを表に出せる人はとても少ないと感じるから。そうやって生きづらいってはっきりしかも即答(笑)する人なかなかいないよ。」
と続けられた。なるほど。

「生きづらい」「つらい」「苦しい」というマイナスの感情を表に出すことは、確かに良いこととされない。でもそういう感情を抱え込むことが、「生きづらさ」に繋がってしまうのは悪循環だ。とすれば。

じゃあそもそも生きづらい、という感情はどこからくるのか。

…他人と違うこと、他人の目を気にしてしまうからでは?

特に今の時代は多様性を認めようという動きと、従来の価値観を重んじるべきだという考えがぐちゃぐちゃになっていて、なにが「普通」で「正しい」のかよくわからなくなっているなと感じるときがある。(あくまで個人的見解。)

だからこそ、自分の意見を発信することに戸惑いが生じる。誰しも「間違える」ことは怖いし、周囲に認められないかもと思うと言いたいことも言えなくなる。

でもちょっとくらい「変なの」って思われても、自分に正直に、言いたいこと言いたい、ってときもある。(なんて矛盾した思考なのか。)

もちろん、他人と関わる以上、自己主張ばかりは良くない(自分勝手、我儘、エゴイズム、そういうのはちょっと違う)のは大前提として、「私はこう思う」「私はこうしたい」と言える強さがあれば、ちょっとは「生きやすい」と思えるんじゃないだろうか。

だからまずは、「自分自身が自由である」ために、自分の意見を持って、それを言語化できたらいいなと思う。

「価値観」に関するお話

さて、ここで難しいのが「私は~」というのを一方的に発信していてもそれは独り言にしかならないというところ。

じゃあ今度は、周りがそれを受け入れてくれる環境ってどうやったら作れるんだ、という点を考えることになる。
つまり受信側に立って、他者の自由を認めるためにどうしたらいいかな、というお話。

固定観念当たり前、という言葉がある。
その定義に当てはまらないと「変わってるね」と言われるし、「普通じゃない」と言われる。
不思議、同じ人なんていないのに。
自分が持っている価値観(≒固定観念や当たり前)はあくまで自分だけのもので、他人からすれば同じ事象が「正しく」も「間違い」でもあるという「当たり前」に意外と人は鈍感だと思う。

冒頭に挙げたように、「○○なのに△△するんだね」という言葉をよく聞く。
(私自身も無意識で使うことがあるからそこは反省。)
重複するが、○○は□□である、という認識は、その人が持つ価値観に大きく左右される

でも世界は自分の価値観では計り知れないし、相容れない考え方もいっぱいある。
そういうものにどうやって折り合いをつけるか。
共感しなくていい、正しいと思わなくていい、でも理解しようとする柔軟さが不可欠なんじゃないかと私は思う。

簡単に言えば、「多様性を認めてほしいな」ということ。

ひとりひとり違う考え方をするから世界は色とりどりで面白いのであって、それを否定するのではなく、理解しようとする。
理解できないなら無理に受け入れるのではなく、あとは無関心でいればいいだけの話。否定する必要も、嘲笑する必要もない。

あーそういうこともあるのね。程度に思ってもらえるだけで、人はもっと素でいられるし、多様な選択肢を肯定できる世界になる、たぶん。

「他者の自由を認められる」人がたくさんいれば、お互いの「自由」を尊重できるし、その方がみんなハッピーだ。(語彙力)

最後に、まとめ

…ということで私のビジョン「自由であれるように」というのがどういうことか??とつらつらと書いてみた。
読み返して思う。まとまりがない…。

結局言いたいのは「自分が自由でいたい」+「自分以外の人も自由でいてほしい」ということ。
(生きやすい世界であってほしいし、寛容な世界であってほしい。)

「自由」を実現するためには、ちゃんと意志表示ができる強さと、受け入れてもらえる環境の両方が必要で、だから、自分の在り方を考える必要があるし、同時に他人に対しての接し方を考える必要がある

言うのは簡単だけど、難しい。

考え方や生き方に正解はないから、もう少し力を抜いて、一旦周りを見渡して、視野を広く持って生きていけたらいい。

 

とどのつまり、皆違って、皆良い。
それが「当たり前」の世界になりますように。

 

おしまい。


いいね
松下 耕三
2020-09-02

信念を持ち、自分自身を持って生きれば、魂を取り戻せば、人のことなど気にせず、なすべきことをなすのだと、誰が何と言おうと私自身を誇りを持って生きるのだと思えるでしょう。
こうなって欲しいと願うのではなく、自分自身がそれを実現するのだという責任を背負う、それが志です。
大切なことは信念を貫き、力を尽くして挑むことです。それ無くして誇りある自分を手には出来ません。

ERI
2020-09-02

コメントいただきありがとうございます。
>こうなって欲しいと願うのではなく、自分自身がそれを実現するのだという責任を背負う、それが志です。
謙遜も行き過ぎれば傲慢、他人を尊重しているつもりが他人任せにならぬよう、まずは自分を確立し、理想に終わるのではなく実現のために精進してまいりたいと思います。
気が引き締まるお言葉を頂戴し、ありがとうございます!

松下 耕三
2020-09-02

はい、頑張っていきましょう!

クマガイ
2020-08-31

私は結構周りの目とか気にするタイプなのでとても共感できる記事でした!
皆違って、皆良い!!これに限りますね👏

ERI
2020-09-01

私も気にしないふりしてすごい気にしちゃうタイプなので、わかってもらえて嬉しいです!
寛容な人が増えることを願います🙏

関連記事

MENU