母の命日に想う

記事は、どういうタイミングで書けばいいのか。
粟本さんから「節目の日に書くといい。例えば、誕生日とか入社した日とか、大切な人の命日とか」と教えて頂いた。この教えは、私にとってとても深く感じ入るものがあった。私は、母の命日に記事を書こうと思った。毎年、母の命日にPandoに自分の思いを残していこうと決めた。

10年前の今日(10月6日)、母はこの世を去った。その年の春、息子が生まれたばかりだった。母も誕生を喜び、私は言葉に出来ないほどの幸せを感じていた。そんな中の訃報だった。悲しみは喜びを消さないけれど、喜びもまた悲しみを消せない。ひとつの心に複雑に同居するものなのだと理解した。

母には10歳以上、年の離れた姉がいる。母にとってその姉は、母親代わりだった。姉=私の叔母は独身だったため、幼少期から私達兄妹をとても可愛がってくれた。私は叔母に、「あなたは私の叔母ではない。私の家族だ。第2の母親です」と伝えたことがある。それくらい近い関係。母の死後、数か月経った頃、母の洋服を整理していたら、タンスから手紙が出てきた。それは、母が書いた叔母への手紙だった。そこには叔母への感謝が綴られていた。そして、「決して一人ではない。子どもたちが、あなたを守ってくれる。だから心配しないで」と書かれてあった。どんな思いで母は、これを書いたのだろう。そう思うと涙が止まらなかった。

それからというもの、私は母にどう見えているかを時々考えるようになった。子どもを愛し、家族を笑わせている姿を見て、「想像通りやわ」と微笑んでいるかもしれない。しかし、叔母の施設へ頻繁に足を運べていないことには、きっと残念がっているだろう。「もっと大切にしてあげて」「もっと喜ばせてあげて」「もっと笑わせてあげて」と云っているにちがいない。叔母は、パーキンソン病で薬の効き具合によって、体が動かせなくなってしまう。この冬はコロナ禍で面会も電話も許されなかった。夏が過ぎ、ようやく会えた時は、嬉しさよりも安堵感の方が大きかった。30分限定の面会。最後に両手で手を握り、元気になるように念じながら力を込めた。病院を出ると、母が「また、近いうちに来てあげて」と云っているのが分かった。

母にどんな姿を見せたいか。
私は日々を真剣に生きたい。一所懸命に生きたい。一所懸命になれることがあるのは、幸せなことだと心から思う。一所懸命の状態は、何かを成し得る前の状態なので、苦悩も大きい。その苦悩を含めて、懸命に生きられること、懸命になれる仕事に携われていることに深い感謝がある。どんなに頭を抱えても、もがいても、自分のやりたいことに向かえているから悲壮感はない。むしろ、突破してやる!という気持ちがふつふつと湧いてくる。母はそんな私の姿を見て安心しているだろう。妹をイジメた男子を、やり返してこい!と私に命じるくらいの母だ。自分が掲げたことは生涯を懸けて成し遂げよと言っているかもしれない。

正月に「本気の365日」という今年の目標を立てた。残り3ヶ月。走り抜いた、走り抜けたと心から思えるようにする。誰でもない、自分が自分に一番期待している。在りたい自分に私は誠実でありたい。

先週末、家族で墓参りをした。花屋で、母の好きなかすみ草が売ってなく、仕方なく別の花を買って墓前に供えた。やっぱり、かすみ草がよかったよね。オカン、この記事の画像で許してくれる? あかんよな。今度持って行くわ。

Qwintet life
182件
粟本 邦幸
2020.10.07

児島さん、常に獅子奮迅の如く活動いただき有難う御座います。同志がここにいることに感謝です。
一所懸命の由来は、武士が先祖伝来の所領を命を懸けて最後まで守り抜く覚悟を待つところからきています。よく耳にする言葉ですが深い意味を持ってます。その意味に向き合い自問自答することで常に心が試されます。御母堂が笑顔になるような生き方をしてください。

児島 誉人
2020.10.07

粟本さん、ありがとうございます。自分が心に決めた節目に思いや決意を書くことは、より深く心に刻まれるのだとやってみて気づきを得られました。私は、自分のビジョンを最後まで一所懸命に守りたいと思います。

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