​SNSもブログも正直苦手だけどPandoは書ける


毎年夏に開催している鳥人間コンテスト。今年はコロナで中止になってしまったけれど、学生の頃は特に、毎年欠かさず見るくらいには好きだった。


機体を一秒でも長く、遠く、速く飛ばすために、チームメンバーが各パーツ・役割に分かれて、年単位で時間を費やし設計準備する。最後の大会本番では、そうして積み重なったメンバーの想いをパイロットが全部背負って、たった1人コックピットに乗り込む。

一回ペダルを漕ぎ始めたら止まれない。テレビ局のカメラがついていることもあって、パイロットはコックピットから見える景色や状況をコメントする。でもそれも始めだけで、段々余裕がなくなって、次第に苦しそうな表情が隠せなくなっていく。ペダルを漕ぐ脚が悲鳴を上げるのと併せて、呻き声が上がったり、涎を垂れ流したり、妄言やうわ言を言いながら、最後には発狂する人もいる。意識が朦朧とする人もいる。おそらく上下左右も分からない、満身創痍の状態。でも、苦しくて天を仰ぎながらも、自分が漕ぐのをやめてしまえばその瞬間にこれまでかけてきた全てが終わってしまうから、ひたすら前に漕ぎ続ける。気持ちだけで身体を動かしている。


見ているともはや拷問のようにさえ思えてくる。その姿が痛々しくてこちらまで辛くなってくる。でも、この瞬間を夢見て、この瞬間にかけるためにずっとやってきたということ、1ミリでも遠く、1秒でも長く飛び続けたい気持ちがテレビ越しにも真っ直ぐ伝わってきて、胸が熱くなって毎回泣いてしまう。と同時に、人間の限界ってこうなるのか、と純粋な興味と好奇心で、どこか一歩引いて冷静に観察している自分もいる。


同じように、甲子園も好き。
最後の一分一秒までこのメンバーで、この場所で、野球をしていたい。そんな気持ちがプレーの一つ一つから伝わってくる。
私もソフトボール部だったので、余計に重ねて見てしまう。

最終回、ツーアウトで、最後にアウトになった打者が天を仰いで、遠くサイレンが響く中で挨拶をして、礼をしたまま肩を震わす選手なんて見たときにはもう、選手以上にこっちが号泣している。この子たちの夏が終わってしまった。。と毎回なる。


単純に涙もろかったり感情移入しやすいタイプだというのもあるんだと思う。
でも、痛いくらい剥き出しの執念でやり遂げようとする姿、芯というか、信念というか、最後まで信じて突き進む感じが本当に熱くて好き。


甲子園や鳥人間は年に一回しかないイベントだけど、Pandoは、その真っ直ぐな熱量にいつでもアクセスできる

元々、私はSNSやブログの類は苦手なタイプだった。正直発信するのも読むのも疲れてしまう。


色々あってブログを書いてみたことがあるが、続かない。飽きてしまう。
そもそも文章を書くのが苦手というか、時間を取ろうと思えない。誰かに何かを伝えたい情熱も、伝えられるものも特にない奴がブログをやっても続かないんだなと思った。


Twitterは高校から大学にかけてやっていた。今でこそ情報収集に時々見る程度だけれど、当時は惰性でアプリを開いて数十秒置きに画面更新したり、いわゆる中毒っぽい使い方をしたりしていた。

Twitterのホーム画面には友達やフォロワーの思わせぶりな呟きや、誰に向けて吐いているか分からない愚痴なんかも流れてくる。嫌でも目に入って、自分のことじゃないかと変に勘ぐってびくびくしたり、気付いたら気分が悪くなったりしていた。

本を読みたいのにいつのまにか読む時間がなくなっていた。(これは意思が弱かっただけかもしれない)

Twitterは面白いけれど、あの頃の使い方が本当に有益かと聞かれるとなんともいえない。
その場にいないのに繋がっているのには安心する一方で、正直いつもどこか休まる気がしなかった

そんなわけで疲れるしやめてしまったが、呟くこと自体は結構好きだった。わりと長く使っていた。


自分の感覚だが、Twitterは家っぽい雰囲気があると思う。自分のペースで気軽に投稿できるし、好きなものへの愛や想いをみんな思い思いに投稿する。そこが合っていたんだと思う。

Twitterには自分の考えついたことをふとメモ代わりに投稿することもあった。
でも、友達には真面目だねとか、重いwだとか、病んでるの??(笑)とコメントされた。

普通に考えてることを投稿しただけなんだけどな…、自分のアカウントなんだから好きなことを投稿すれば良いと思うのだけど…。身内に真面目な話はちょっとしにくい、受け入れられにくいのがTwitterなんだなあと感じた。


Facebookも一時期必要だったので使っていたが、今はほぼ放置している。検索されて申請されるのが億劫だったので本名でさえない。よく「SNS得意そうなのに! バリバリ使ってそうなのに!」と言われる。普段何してるの?とも。ちょっと時代遅れなのかもしれない。


そんな私だが、Pandoは使えている。仕事だからじゃない。あくまで自分の意見だが、ホームな雰囲気がありつつ、真面目に本音を語っても良い空気があるということ。そしてそこには生身の人間が書いた、血の通った文章、剥き出しの感情があるからじゃないかと思っている。泥臭いものは一般的に嫌厭されることもあるけれど、私はそういうのが大好きなんだと思う。

取り繕った文章じゃないということ。「実はあの時こう思っていた」とか、本当なら隠したくなるような誰かへの嫉妬や汚い感情とか、自分への否定とか、そういうのも込みで書かれているということ。でも単純なネガティブ感情で終わるんじゃなく、そこから前向きな結果を出したり、出そうとしたり、一歩踏み出しているのが分かること。変な表現かもしれないが、生きている温かみを感じる。

誹謗中傷や悪口も見たことがない。それは、みんながそれぞれに自分のことをオープンにするハードルを乗り越えたからだと思っている。ビジョンや記事を本音で書くのは、人によって結構なハードルだと思う。笑われたらどうしよう、こう思われるんじゃないか。乗り越える辛さと勇気を知ったから、同じようにそれらを乗り越えてPandoで発信している人のことを悪く言えない。一緒に壁を乗り越えたという仲間意識が無意識に芽生えているんじゃないかと思う。否定してしまったら、それは間接的に自分を否定することにもなるから。


自分の違う価値観や意見があっても、否定ではなく、そういう考え方もあるよね、そんな価値観なんだね、で終わる。受け入れる、認める文化。
合わないなら距離を縮めない(共感しない)だけの話。そもそも自分の世界に集中していれば、人のことをわざわざ言う暇なんてないとは思う。
人生は短い。

見た目はしん、としているのに、近付くと静かにじくじく、こんこんと燃えている感じ。
ちょっと感覚的な話になってしまうけれど、
私のPandoはそんなイメージ。

そうやって燃えている学生さんやユーザーたちの、その先に紡ぐストーリーが見たい。まだビジョンがふわっとしていたり、他人の夢を自分の夢だと思い込んでいて、実は見つけられていなかったりする人も多い。私もそう。日常生活の中でふと友達に言われたことや、何かのイベントの経験で気付いたこと。ちょっとした一つ一つの点が結びついて線となり、その人の人生を形成する。色々なSNSやサービスがあるけれど、それが見えて応援できるのはPandoだと思う。ノンフィクションの、リアルな物語。他人の人生に生きて刺激を受けるのじゃなく、自分の人生を生きて、お互いに刺激を受ける。企業にも学生にも、これからもっとたくさんの熱いストーリーに出会えるのが楽しみ。


れな
2020.11.29

お休みのところ失礼いたします🙏
Pandoは、自分と向き合えることや心の中で思っていることなどを記事に出来るので良いと思います。
石田さんの「ビジョン」「マインド」は、とても共感出来ます。

Yuka.I
2020.11.30

コメントありがとうございます!
話すより文字にした方が伝えられる気がしています😌
ビジョンマインドも、方向性は一緒なのに人によって個性が出るところも面白いですし、その中で共感できる人と繋がれるのが良いですね🙆

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