2021年に誓う『感奮興起』

ダイヤはダイヤでしか磨くことが出来ないのと同様に、人もまた人によってしか本質は磨かれないのだと思う。そういった意味では、昨日、良いご縁をいただき魂を磨いていただく一日となった。

そして今日は、来年から学生と本気で向き合っていく心構えを学びに萩の松陰神社まで足を運ぶことにした。目の前に吉田松陰がいたら自分に何と言ってくれるだろうか。決して甘い言葉は帰ってこない。至極当然の話だ。

備忘録程度に松陰について簡単に残しておくことにする。


留魂録
政治犯として幕府によって処刑される前日に脱稿した遺書。船を岸につなぎ留めておくことを「繋留」というが、松陰は魂をこの世にとどめておくことを「留魂」と表現している。

松陰の辞世の句
『身はたとひ 武蔵の野邊に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』

留魂録の冒頭に綴られた31文字の辞世の句には、魂の叫びとも称すべき激烈な意思がある。これは260年続いた江戸幕府の体制を崩壊させる進軍のラッパであり「わが屍を踏み越えていけ」との願いを込めて松下村塾の門下生たちに送った渾身の檄文であるように感じる。

至誠
松陰の座右の銘である。
至誠とは「至誠にして動かざるものは、未だこれに有らざるなり」と真心を尽くせば、相手は必ずわかってくれるという意味である。松陰が24歳の時に藩主毛利敬親に宛てた上書では「誠の一字、中庸尤も明らかに之を洗発す。謹んで其の説を考ふるに、三大義あり。一に曰く実なり。二に曰く一なり。三に曰く久なり」(誠という事については「中庸」が明らかにしております。謹んでその説を考えると実現するには3つのことが必要です。1つは「実行」、2つは「専一」、3つは「継続」です)と上申している。誠とはいったいどのようなことなのかが明確に紐解かれ、現代を生きる私たちにとっても参考になるものである。

松下村塾
27歳の時に講義をふるい、至誠をもって人を教えれば、どんな人でも動かされない人はいないと深く信じ「松本村は片田舎ではあるが、この塾からきっと国の柱となるような人物が出てくる」と言って弟子たちを励まし続けた。松陰が塾を開いたのはわずか2年半ではあったが、その弟子の中から立派な人物が育ち国に大功を収めている。

塾生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがおり、総計で約90名余りが松陰の教えを受けたと言われている。

松下村塾は塾の在った村の名にちなんでの命名だが、塾の在った村は「松本村(まつもとむら)」であって「松下村(まつもとむら)」ではない。常識的に考えても「松本村塾」にするのが普通だが、なぜ松陰は「松下村塾」としたのだろうか。

これは私も聞いた話だが、松という字は分解すると「十八公」と読むことができ、神を待つの「待つ」に通じることから和歌などでは何かを待つという意味で使われている。松は枝ぶりの美しい常緑樹であることから神が宿る神聖な木とされ「そんな大きな松の木の下で若者が集まり切磋琢磨しながら学び、人としても枝ぶりのいい大樹に大成するのを待つ」といった願いを込めて「松下」という名になったのではないかとも言われている。Pandoの生みの親である弊社代表も松下という名であることからこの由来を勝手に信じ込んでいる。

どんな教師だったのか
学問を志す者は身分を問わず入門することが許され、松陰の教育は「机上の学問はするな。実践に役立つ学問を身に付ける様に」と指導したことにある。

「何のために学問をするのか。学者になるのはつまらない。学者になるには本をたくさん読みさえすればいい。学問をするには『立志』という事が大切である」ことを教え、「人間とは何か」を学ぶことこそが学問であると言い続けたのも有名な話である。ここに教育の原点があり私が挑むのも一言で言えばここに尽きる。

士規七則の真髄
武士としての在り方を説いたものであるが、要約すると3つである。「志を立てることをすべての始まりとする。交友する相手を選ぶと、仁義に沿った言動の助けになる。書物をよく読んで、先人、偉人の教えや教訓を学ぶこと」

1.人間として生まれたからには、鳥や獣との違いを知らなければならない。人には守るべき5つの道がある。(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)。その中でも君臣の義、父子の親が最も大切である。ゆえに人が人であるゆえんは、忠考が原点である。

1.日本に生まれたからには、日本が世界の中で尊い理由を知らなければならない。日本の朝廷は万世一系であり、国民は天皇の下で禄と位を代々踏襲している。天皇は民を養い、先祖の事業を告ぎ、民は主君に忠義をもって、父の志を継ぐ。君臣一体、忠考一致は、ただ我が日本のみのことである。

1.武士の道は、義より大切なものはない。義は勇気をもって行われ、勇気は義を行うことで発揮される。

1.武士の行動は、質実で人を欺かないことが大切で、欺いたり言い繕うことは恥ずかしいことである。公明正大であることがすべての出発点である。

1.昔から今に至る歴史を知らず、立派な聖人や賢者に学ばなければ、心が卑しい人間になる。本を読み賢人を友とすることは立派な人間の行うことである。

1.仁徳を積み、才能を発揮するには、師の恩や友の導きによるところが大きい。ゆえに人との交際は大切である。

1.死ぬまでやり続けるという言葉は簡単であるが意味は深い。意志が固く、忍耐強く、心を変えないでいることは、この姿勢なくてはできないことだ。

永訣書
死を覚悟した松陰が家族にあてた遺書である。そこには「両親が子を思う気持ちの深さは、子が両親を思う気持ちの比ではない。永遠にお別れしなければならないこの日がやってきた知らせを、両親はどんな思いで聞いただろうか」と綴られている。父母の恩は山より高く海より深いという思いや、子が両親よりも先に行く逆縁を詫びる気持ちが行間に漂うものである。但し、自分を教育した父親と叔父に対しては「思い残すことはない」と覚悟を述べ「どうぞ健康で長生きしてください」と文章を結んでいる。

吉田松蔭が残したもの
死んで花実が咲くものかという言葉があるが、死んで花実を咲かせたのが吉田松陰ではないだろうか。坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文は自害であったり暗殺されているものの大きな事業を成し遂げた後の非業の死である。ところが、松陰は「維新の種をまいた」だけでこの世を去っている。しかもこの期間も短く、その死は処刑であり享年三十。そこが、他の幕末の英雄と大きく異なるところだ。

松陰の人生は短いものの、彼の教訓は長く、今尚、人々の心を燃やすものとなっている。私もその一人だ。彼は空言をもって教えず、活動をもって教えたと言う。このような教訓が不朽であるならば松陰もまた不朽であるのだと思う。

人の心はコロコロとかわるから心。その心に心棒(辛抱)という棒を打つことで必ずとなる。松陰が残した教訓が多くの人の心棒(留魂)となり生き続けるものとなるのだろう。

留魂録、士規七則、永訣書はどれも現代人が大切にしなければいけない生きる指針や考え方を学ぶことが出来るものである。松陰は立派だ。ただ彼をここまでしたのはエバンジェリストのおかげだろう。

Pandoは自分にとっては生きる指針や想いを残すものであり、大袈裟に聞こえるかもしれないが留魂の様なものでありたいと思っている。その叡智の結晶やビジョンが集合体となり繋がっていくのもPandoの描く世界である。個人の自律型オウンドメディアができたら世の中にある本質的課題をだいぶなくすことができ、世界をより近づけ次のフェーズに行かすことができるのだと思う。

2021年は自分にも他人にも「感奮興起」であることをここに誓う。

れな
2020.12.27

私は、今でもPandoに感謝しかありません。
Pandoがあるからこそ、自分と向き合える事が出来ますので、引き続き「ビジョン」「マインド」を読み返してまいりたいと思います。
早いですが、良いお年をお迎え下さい!
2020年もありがとうございました。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

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