自分の頭の中が迷子になると、インプットのためにひたすら情報を取りにいくきらいがある。
土日は缶詰になって本とか経営系の動画とかをむさぼっていたけれど、いまの自分にしっくりくるヒントが多かったり、これまでにいろんなメンターから言われたことがばちっとはまったり…。
脳みその歯車が一つずつカチカチ合っていく感覚がすごい。
このタイミングで読めて本当によかった本。定期的にまた読み返したい本が増えた。
USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか? 森岡 毅 著
「具体⇄抽象」トレーニング 細谷 功 著
ミッション 元スターバックスCEOが教える働く理由 岩田 松雄 著
自分に足りないものがある程度わかっているとき、ほんとうにほしいものがあるときというのは、ちゃんと答えとかヒントが見つかるようになっていると思う。
今回見つけたものすべては書ききれないけれど、岩田さんの本をベースに自分的に刺さったところをつれづれに、整理のために書いていく。
■社会的地位など何の役にも立たない
マンションの理事長でも地域のスポーツチームでも、会社を一歩外に出れば、肩書や実績、社会的地位など何の役にも立たない。
必要なのは、どうするかというミッションを考え、それを自分の言葉で周囲に納得してもらう人間性
いわゆる「ステータス」があっても、そんなものはあるコミュニティの中だけで通用するものであって、そのルールが適用されない場所では意味をなさない。日本で取ったすごい資格でも、他の国に行って現地の人に見せたところで、どれほどの価値や意味があるのかを分かってもらうのはなかなか難しい。評価もされなければ見向きもされないかもしれない。万国でかろうじて通ずるもの。それが人間性なんだろうなと思った。
マンションの管理組合でも地元の少年野球チームでも、「この人なら」と判断されて話を聞いてもらえるのは、周りへの謙虚さや配慮があり、自分事として問題を捉え、みんなを想い、行動していける人。それができる/きっとやってくれると思える人だと思う。
それをどう人は判断しているのか。突き詰めていくと些細な言動、考え、表情や、いわゆるオーラみたいな、まとっている空気といったもの、表れる一つ一つのものからだと思う。表面を繕っても、骨の髄にあるもの、そこからにじみ出るものを隠しきることはできない。人によって程度の差はあれ、蓋をしても垂れ流されているものや人としての深みや厚みを、視覚からにおいから毛穴の一つから魂レベルで嗅ぎ取って、人は見抜いているのだと思う。
スキルやテクニックも同じようなところがあるかなと思う。人間そのものがベースにあって、その上にテクニックとかスキルとかが乗って初めて本当に活きてくる。時代や場所、目的が変われば土台の上に乗せるものも変わる。普遍的なものは本人そのものの質だけなのだと思う。
■使命は怒り
稲盛和夫さんの「心を高める、経営を伸ばす」(どこかで読みたい)にも書いてあるらしいのだが、
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
という考え方が紹介されていた。
ミッションを持った人は頑張れる。
ミッションを持つと明確なビジョンができる。
そうすると強いパッションが湧きあがる。
より強い熱意はミッションから生まれるという話。この「ミッション(ビジョン)」について考えることが、最近(定期的に考えたり悩んだりはするけれど特に最近はかなりつよく・・・)自分の中で大きく割合を占めていた。
岩田さんはTHE BODY SHOPにも携わっていた。その創業者であるアニータ・ロディックさんとのやりとりが書かれていたのだが、彼女のミッションが社会への怒りを原点にしているというくだりがあった。
講演一つとっても、普通に話すだけでも聴衆は満足するのに、資料の細部までこだわって担当に細かく指示を出し、前日の夜中まで準備する。普段冗談を言っていても、本番では人が変わったように戦闘モードになる。
「なぜそこまでする元気があるの?」と岩田さんが聞くと、「アンガー(怒り)があるから」と答えた。そんなエピソードが紹介されていた。
この答え方、一言が私にとって結構衝撃的だった。
「もっとみんなに伝えたいから。知ってほしいから」
「せっかく頂いた機会やご縁を大切にしたいから」
「プロとして仕事をするから」
「それがみんなにとって良いことだから」
そんなふうに答える人が多いんじゃないかと思う。
(もちろんどの理由が上とか下とかそういう話ではないし、私がそもそも勉強不足というのもあるんだろうけれど、)
はっきり堂々と自分の感情を理由に挙げることが、私にはとても新鮮に映った。主語を「I/わたし」にして、感情、しかも「怒り」というネガティブなイメージを持たれやすいものを隠そうともせず明言する人 (しかも自分の発言が一般の人より影響力を持つ経営者) に初めて会った気がする。
いや、みんななにかしらの「怒り」を持ってるのかもしれないけれど、外に出すときにはやんわり優しく、ポジティブメッセージに包む人が多いんじゃないかと思う。日本人の奥ゆかしさみたいな、外国人との性質のちがいもあるかもしれない。
・・・とはいえそういうのすべて置いておいて、とにかく衝撃を受けた。人からどう見られるかをまだ気にする自分だから、ネガティブなものを包み隠さず出している姿が響いたのかなと思う。
■「やりたい」と「使命」のちがい
怒りがあるかどうか。
どちらが良い悪いとかいう話ではない。
心底呆れたこと。
この現実、社会つまんねーなと思ったこと。
深く傷ついたこと。
「やりたいこと」やポジティブなメッセージを発信する人も、ミッションを持っている人はみんな、それが表面に見えづらいだけで、自分の中でちょっとした違和感やもどかしさ、居心地の悪さやどうしようもなく行き場のない憤りが始まりだったんじゃないかと思う。
その人にとって大きな出来事に遭遇して、そのままとてつもなく大きな怒りに変換され爆発する人もいるだろうし、
小さな怒りでもそれがずっとくすぶっていたり、心の片隅に引っかかって残っていたり、ぱちぱちと小さな火花を上げていたり、それが少しずつ溜まっていて、気付いたら大きなものになっている人もいる。
生まれた瞬間から怒っている人はおそらくいないと思う。だから自分のミッションを探すなら、まずは「自分の怒り」に出会うために、ひたすら経験して行動していくのが結局のところ近道だと思う。
好きなことも、やりたくないことも経験していく。突き詰めてやってみる。そこからさらに興味の出たことをかじっていって、自分なりに考えること。そんなふうにいろいろと繰り返していくと、どこかで「おかしい、苦しい、どうにかしたい」と思えることに出会う。それがより強いミッションの種なのかなと思う。
そしてその「種」をミッションに昇華し広めていこうとする。=遂行・推進していく。そのためには、腹を据えて最後まで絞りきって走り抜く力と、それをたまたまではなくいつでも使いこなせる力がないといけないと思う。
■自転車を漕ぐ
本気でやる力と、それを使いこなす力、それと人間力というのは、全力で自転車を漕ぐことと似ているのかもしれないと思った。
自転車を全力で漕ぐ力は 本気でやる力。
自転車を乗りこなすことは 「本気」を使いこなすこと。
そしてただ自転車を乗りこなせば良いわけでなく、乗る人間そのものの人間性。
自転車は、子供のときから乗れるようになっておけば、基本的にはその後もずっと乗れる。
逆に大人になってからいきなり乗ろうとするのはつらい。子供の頃よりももっと遠くに急いでいかないといけないことも多いのに、初めて乗るレベルではどうすればもっと早く力を込めて漕げるのか、乗り方、乗りこなし方が分からない。転んだときのケガや衝撃も心なしか子供のときより痛く感じる。
乗り方が分かっていても、普段から乗っておかないと、いつの間にかどう乗ればいいのか、感覚が弱まってきてしまうというのもある。漕ぐ筋力が落ちたりいろいろとさび付いたりする。そこから取り戻すのもなかなか大変だと思う。
だから練習や定期メンテナンスではないけれど、なにかにつけて自転車に乗って、めっちゃ漕いで、いつでも全力で乗れるようにしておかないといけない。きついけれど全力で漕げば筋力がついて毎回ゴールにつくのが早くなるし、目的地についたときには結構爽快感とか達成感がある。遠くまで自分で漕いだからこそ見える景色もある。全力で乗れば乗るほどそれを使いこなすことができる。
乗っている人間自体も大事だと思う。どんなに自転車を乗りこなしてゴールに早くついても、人をはねたり、通っちゃいけない道を通ったり、誰かが植えてくれた花を踏みつぶしていたり、沿道や応援者に唾を吐いていたらみんな離れていく。
きれいなミッションを掲げていても、それを発信する人がどんな人間か。どこにいても通じる共通パスが人間性だと思う。
■自分の怒りを肯定して、自転車の動力にする
前を見据えて自転車をガチで漕ぐ。それがいま求められている。
怒りとかネガティブな感情は、どこか見せてはいけないものだと思っているところがある。そういう思考の癖がある。(もちろん、見せ方とかTPOに合わせて、という考え方はある。) でも、怒りの感情それ自体を否定するのではなくパワーに変えて、ばねにしてやろうと思う。抑えないといけないもの、恥ずかしいものではなく、私を構成する大事な感情の一つであること。
また、
「これで後悔しないか、納得して夜今日もよい1日だったと気持ちよく眠れるか」
「自分が違和感のあるものに対して否定するのではなく、少しでもWin₋WInの状態の解決案を提示し選択していけるか」
を選択のベースにしていきたい。そのときに自分を客観的に見ることも大事にしたい。選択と行動と思考を繰り返して、1を積み重ねていきたい。
そういえば大学生のときに、友達だった先輩に「私たちはスタバの空間にお金を払っているんだ」と考えを話したことを思い出した。それはもっというとスタバが掲げるミッションやスタッフ一人一人の人間性や努力に払っていたのかもしれない、とここまで書いていて思った。
ステータスもなにもないけれど、表層的なものではなく、関わる人に価値を感じてもらえる人間になる。届けたい人に届けるために。