ロシア語と日本語の音

この記事は東京大学の第95回五月祭における2022年東京大学理科ロシア語選択クラスの催し物の一環として書いた記事です。よければ他の記事も見ていっていただければ幸いです。

東大りろし!’22

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せっかく大学でロシア語を第二外国語として選択したので、何かロシアについてもっと知りたいな、と思って図書館にいた4月のある日、佐藤純一『ロシア語史入門』(大学書林、2012年)という本とG. O. ヴィノクール著、石田修一編著『ロシア語の歴史』(吾妻書房、1996年)を見つけました。この2冊を読んでいたら、「おっ、これ日本語にもあったかも」と思ったりした点がいくつかあったので、それの紹介記事です。

一応注意しておくと、この分野についてはそんなに詳しく知っているわけではないので、文末表現がしばしば断言を避けるようなものとなっていますが、ご容赦いただければ幸いです。また、おそらく、内容には私の無理解による誤りが含まれています。そのため、内容にミスや誤解などがあればコメントいただければ嬉しいです。

(余談だが、佐藤純一先生は東京大学の教授だった方だそうだ。お名前をググってみたところ、(先日亡くなられた見田宗介氏の記事も載っているという)1967年の教養学部報や1983年の教養学部報でロシア語の辞典案内をされていた。もしかしたら昔の駒場で二外ロシア語の教鞭を取られていた方なのかもしれない)

(メイン画像:白樺木皮簡の一つ。キリル文字を書き並べたものだろうか。白樺木皮簡とは、ノヴゴロド旧市街で発掘された、11〜15世紀の簡。発掘されたものの中には金銭貸借の証文や子供の手習いなども含まれてるという。画像はWikimedia CommonsのFile:Birch bark alphabet of Novgorod.jpg より)

ヅァ行

「ヅァ」。この文字を見たことはありますか?これを書いている私自身はこの表記を人生で数回しか見たことがありませんし、発音しろと言われてもザとしか言えない気がします。

でも、実はこれはある意味当然のことだと思います。というのも、日本語のザ行にはザ行とヅァ行が混在しているからです。(と言うとザ行の文字を「ヅァ行」で読むことがある以上、「ヅァ行」に対応する仮名はザ行である、という反論も考えられるので、ここではヅァ行とはツァ行の子音の有声音を頭に持つモーラのことで、ザ行とは狭義にはサ行(のうちシ以外)の子音の有声音を頭に持つモーラのことだとする)

「日本語のザ行にはザ行とヅァ行が混在している」という言及を分かりやすくするために、IPA(国際音声記号)を導入してみます。これを用いて先の言及を書き直すと、次のようになるでしょう。「日本語のザ行の子音には[z]と[d͡z]が混在している」


ところで、昔のロシア語においても[z]と[d͡z]の区別が存在したといいます。現に、「ѕ」と言うキリル文字が存在し、これがかつてのロシア語で用いられていたのです。それでは、なぜこの文字は現在のロシアで用いられなくなったかと言えば理由は単純で、「ѕ」が「з」と発音上同じになったため全て「з」で書くこととなったのだそうです。

日本語ではザ行から[z]と[d͡z]が現れ、ロシア語では逆に[z]と[d͡z]が統合された、と言うのが面白いな、と思ったので紹介しました!


16世紀の年代書?の一ページ。上から二行目中央部に「ѕю」のように読める文字がある。元サイトの記述によればこの部分は現代の「князю」の後半にあたる部分のようだ。だとすれば、確かに「ѕ」が「з」になっている。画像はWikimedia CommonsのFile:Facial Chronicle - b.20, p. 272 - Coronation Ivan IV (1).jpg より

ガ行

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略の影響で、2014年にウクライナに対し一方的に独立を宣言した「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」にも注目が集まっています。

ところでこの「ルガンスク」という地名のウクライナ語での言い方を知っているでしょうか。何度も報道において取り上げられているため知っている読者も多いと思いますが、「ルハ(ー)ンシク(Луганськ)」です。

実は、ロシア語ではガ行のような音がウクライナ語ではハ行のような音で発音されるということがよくあります。これは、もともとロシア語とウクライナ語が一つの言語であって、ロシア語でのガ行のような音とウクライナ語でのハ行のような音がもともと同じ音であったことに由来するとされています。

元の音は[g]で、それが[ɣ](南ロシアではこの音だという)となり、ウクライナ語における[ɦ]([x]?)となったのだといいます。

現代の日本語においても、ガ行の子音はときに[g] (や[ŋ])ではなく[ɣ]で発音されるといいます。もしウクライナで起きたような変化が進めば、いずれ「佐賀」と「サハ」(ロシア連邦内の共和国)が同じ発音になってしまうかもしれませんね。

サハ共和国の位置。モスクワ等よりはずっと日本に近いロシアだ。画像はWikimedia CommonsのFile:Map of Russia - Sakha (Yakutia).svg より

(注1:ロシア語のガ行とウクライナ語のは行はどちらも同じгという文字が使われる。例えば、ルハーンシク/ルガンスクはそれぞれЛуганськ/Луганскと書くのだそうだ)

(注2:この変化は日本のお隣韓国でも起きていたのかもしれない。と思うのも、日本人がガ行で読む漢字を韓国語ではハ行のように読む、ということがあったりするからだ。(日本語:がっこう, 韓国語:학교(ハッキョ)))


開音節

もしかしたら未来の日本語では子音で終わる音節がありふれているかもしれない。そう予感させるような発音が今、日本語にあります。

それは母音の無声化です。母音の無声化とは、k,s,tなどの無声子音によって挟まれたiとuが無声母音として発音されたり、あるいはそもそも発音されなかったりする現象のことをさします。例えば、「好き」といったときの「す」の母音などによく現れるそうです。

実は、昔のロシア語、というよりスラヴ語全体でも似たようなことが起きていました。その昔、ъやьはuやiの弱(化)母音として読まれていました。しかし、これらの音は、語中の「強い位置」においてはоやеになる一方、「弱い位置」においては母音としては消えるという変化を経験します。この変化は10世紀にはブルガリアで、11〜13世紀にはロシアにおいても起き、それまで全ての音節が母音で終わる開音節であったスラヴ語が子音で終わる閉音節を持つことになったのです。


そして、ロシア革命の頃の正書法の改定によって、語末の子音の後のъは姿を消しました。

この変化をした単語の例としては、「въстокъ(東)」という単語、前のъが「強い位置」で、後のъが「弱い位置」だったようで、現在では「восток」という形になっています。ウラジオストクの「オストク」の部分に当たる単語であり、ロシアの宇宙開発計画やロケット、宇宙船の名前にも使われる単語ですかの有名なユーリイ・ガガーリンが乗ったのもボストーク1号なんだとか。

ということで、クロスワードのヒントは「タテ4D ボストーク」です!(クロスワードって何のこと?という方は下の注4を参照)

(注1:「弱い位置」の弱(化)母音の消失が閉音節の出現につながったのではなく、逆に、閉音節が出現しそうだったから弱(化)母音は消失した、というような説もあるそうだ)

(注2:このことが、前置詞вやсが一部の単語の前でвоやсоになることの原因らしい)

(注3:「ヅァ行」の節で上げた画像にも現在は姿を消したはずの語尾のъが残っていると思う。3行目の最初の単語は現代語ではставятに対応する単語らしいが、ставѦтъと書かれているように私には見える。Ѧという文字はもともと/e/の鼻母音、つまり舌先をつけない「エン」に近い音だったが、最終的にяと合流し、廃止された文字だそうだ)


(注4:記事の冒頭、この記事が五月祭のクラスの企画のために書かれたものだと言いましたが、実はクラスの企画、単にブログを書くだけでなくて「イースターマトリョーシカのクロスワードを解こう!! 」と言う企画もやっているんです。よかったら見ていってください。(詳しくはリンク先参照)

イースターマトリョーシカのクロスワードを解こう!!

かわけん
東大りろし!’22

終わりに

書こうとしていたことはだいたいは書けたと思う。ただ、書いてる途中で不安になって削除した節(内容はロシア語のкыとкиと日本語のキの比較)があったりしたので、自分、まだまだだなぁと思わされた。


参考文献・ウェブサイト

  • 佐藤純一(2012). 『ロシア語史入門』. 大学書林
  • G. O. ヴィノクール著、石田修一編著(1996). 『ロシア語の歴史』. 吾妻書房
  • 三松国宏, 福盛貴弘, 菅井康祐, 宇都木昭, 島田武(2007). 「日本語の母音の無声化について : 東京方言の2音節連続無声化の音響分析」『一般言語学論叢』2号, pp.73-101. ウェブサイト http://hdl.handle.net/2241/15494 を通じ閲覧.