僕が映画監督を目指す理由を殴り書きます。

どうも、カイトです!
すでに知ってくれている方もいらっしゃると思いますが、僕は小さい時から映画監督を目指しています!
今日はどうして映画監督を目指しているのかを書かせて頂こうと思います!

幼少期、めちゃくちゃシャイだった僕は感情表現がすごく苦手であまり活発に友達を作りに行けるわけでもない感じの子でした(多分今も根は超コミュ障)
そのお陰で学校ではあまり友達ができず、離婚がきっかけでホステスになり、夜遅くまで仕事をしていた母親の代わりに僕と弟の面倒を見に来てくれていた祖母からは兄弟間での差別もありで学校も家も自分の『居場所』ではない。と感じていました

でも、そんなカイト少年には唯一居場所があったんですよね。
それがスクリーンの中です。
母親がディズニー映画が好きで、僕も小さい時から観せてもらっていたので映画が大好きでした。
特にパイレーツオブカリビアンが僕の中では「カッコいい」の塊作品なので大好きでした。

両親の離婚で転校し中々友達ができず母親も荒れていた時期だったので(今はしっかりしてます)お父さん候補者がドンドン入れ替わり、僕の友達になってくれる人は現実世界にはほとんど居なく、DVDを挿れるといつでも会えるスクリーンの中の世界にドンドン引き込まれて行ったんだと思います。
そこから、現実世界には興味があまりなく祖母に罵られても母親に引きずり回されても「怖ッ」「痛ッ」くらいの感覚でした。

小さい子供は親が苦しい生き方をしていると一緒に苦しい生き方をするしかない。選択肢がないので、現実世界で何が起きても「ふ~ん」くらいに思うようになりました。と言うか思わないと生きていけなかったと思う。
お陰で今でも基本的には他人の特に負の感情や相談に興味が持てません。(多分これが女子受け悪い理由)

ただ、今考えると色々と面白い幼少期だったなと思います。
なんか書いてて、ふと思い出したのですがホステスをやっていた母親が店のお客さんのヤクザの組長さんと仲が良く、僕も時々お会いしていたのですが、会うたびに美味しいお米やお肉、お小遣いをくれる人でした。
お小遣いを貰った時は絶対金持ちな大人から貰ったお金だったので封筒にいくら入っているのか気になりすぎて数えてたら、母親に「コラ、数えないの!!」と小声で怒られた事がありました。
人からお金をもらった時はその場で数えてはいけないとヤクザの組長から教えてもらった5歳の思い出です。
あと組長に向かって「カイトも組長になる!」と仁義なきルフィみたいな宣言をした事もありました。
あの組長から麦わら帽子的なアイテムを受け取っていたらソッチの道を目指していたかもしれません。

ごめんなさい、話が逸れました。
そんなこんなで僕の唯一、人と繋がる手段が「映画」でした。
でも主にアクション映画を見て「カッコいい~」程度。
ですが小学生の時、ある衝撃を受けました。
「グッドフェローズ」と言うマーティンスコセッシ監督のギャング映画を見たときでした。
僕がそれまで好きで観ていた映画達とは違ってカッコいいアクションも派手な展開も無く、ただただマフィアの日常を見るだけの実話系映画なのですが、とにかく人間が面白い
今まで現実の人に興味のなかった僕にはすごい衝撃でした。
「人間ってこんなに面白いのか!!」
僕の中の生きていく為の価値感が180°変わった瞬間でした。
「人間なんてダメで良い」「ダメだから面白い」
恐らくその日から映画監督を目指すようになったんだと思います。
「僕もこんなん作りたい!」みたいな。
そこから人との関わり方が変わり、友達も沢山できるようになりました。
人生が一気に幸せになりました。それも全部今考えると映画のお陰です。
「この人何でこう思うんだろう?」とか「なんでこんなこんな事したんだろう?」を考えるのが楽しくなったからです。いつか自分が作る映画の為に。


ヒロアキ
2021.10.20

人の壮絶な道のりは人それぞれだね。誰の方が幸せ、ひどいなんて無いと再度感じた。また一緒に面白いことしよ!