想いの矛先

実は私、SFTから10日間ほど逃げたことがあります(ちゃんと休む旨を伝えたうえで←ここ大事)。しかも支部代表合宿のコンテンツ作りや事務局合宿での報告、春合宿のコンテンツ作り等大事なモノが目下にあるのにそれを投げ出して。理由はいろいろあったのですが、もう忘れてしまいました。それくらいきっと些細なものの積み重なりが大きな反動となってかえってきたんだと思っています。ただ痛烈に覚えているのは求められているのは「私そのもの」か「仕事をするものとしての私か」と苦悩したことです。

ーここから本題ー
結果として、STUDY FOR TWOは前者の私を求めてくれていると思っています。そして、同時に思ったのは一瞬一瞬、刹那に生じる伝えたい感情や思考は言語化したり伝えないと二度とそれを満たすことはできないということです。今、randomでは感謝を伝えるスレッドを行っています。その理由は上記のものです。世の中では毎日多くの人がなくなり、また私たち自身も死ぬ可能性にさらされています(交通事故でなくなる方は例年の平均で3000-4000人あたりです)。考えてみてください。その感情や思考の行き先の相手と連絡が付かなくなったり、2度と会えなくなったときを。その感情や思考はどこにぶつけたらいいでしょうか?愛や心の豊かさで生じていたその感情や思考は自分自身への後悔として、憎しみとして、磔として自分自身に強く刻まれます。そんなものを誰が背負いたいでしょうか?想いを素直に伝えられる、単純で複雑な行為を出来る人になりたいなというお話でした。ありがとうございました。

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