【全ての始まりはDREAMだった】

このnoteは去年の私の活動の振り返りと、今年DREAMチームに入ってくれたメンバーに向けての話になると思います。

目次

  1. 1.DREAMチームに入ろうと思った理由
  2. 2.過去最大の大きな壁
  3. 3.自信がなくなった瞬間
  4. 4.毎日が葛藤の連鎖
  5. 5.自分のやりたいことが見つかった

1.DREAMチームに入ろうと思った理由

「やってみようかな。。。」

ぶっちゃけDREAMやる前の私は自分に自信がなく、どのチームも魅力的だったので、あえて仕事量の多いDREAMは外していました。

けれど、チーム確定フォームを出す前日とかに当時大阪支部の代表だった神が、「妥協はしないほうがいい。選ぶなら一番しんどい道を選択しな」っと言ってくれて、なんだか凄くかっこよく思えて、それで私はその言葉を信じて迷いなくDREAMを選びました。

きっと今までしんどい事から逃げてきた私にとって、あえて困難な道を選択するという考え方が凄く新鮮に感じたんだと思います。

あとは、中学の時はバドミントン部のマネージャー兼選手、高校は硬式野球部のマネージャーをしていたので、自分の性格上あっていたんだなと。

2.過去最大の大きな壁

「DREAM全都市目標集客人数3000人」

活動が本格的に始まったのが10月のDREAM集客からでした。
8月ー9月で海外インターンをしていた私はあまりメンバーと仲良くなるどころかほとんど仕事を任せた状態で、何もしていませんでした。

正気罪悪感はあったものの何をしたら良いか分からず、ただmtgに参加したり、スラックは見る専で発言はせず。みたいな感じでノロノロやっていました。

ここからはそんな私がDREAM個人集客で全都市1位になった背景を簡単に話したいと思います。

まず夏休みに海外インターンを経験したのが自分の中で大きな自信に繋がりました。またそこで同世代の学生が本気で変わりたいと思い参加している姿をみて、「もっと日本の学生にもチャレンジしてほしい!」と強く思いました。だから私はただ集客で1位になりたかったんではなく、一人でも多くの学生にDREAMのコンテストの価値を届け、チャレンジして欲しかったんです。

この原体験があった私は人一倍思いが強く、毎日がむしゃらに自分の友達や他の大学で声かけしたりしていました。

けど実際は上手くいくことなんてほとんどなかったです。15人に声かけてやっと1人応募してくれるぐらいの確率だったので、次第に体力的にも精神的にも追い込まれた状態でやっていました。また、声かけした人には「マルチ商法なんじゃないか」や「こうゆうのうぜえんだよな」なんて正面で言われたこともあり、悔しくてめちゃくちゃ泣きまくった経験もあります。(今だから言えることw)

そんなことがあって、「もう集客なんてしたくない。声かけするのが怖い。」と思うようになってしまっていました。けれどそれと同時に全都市1位の集客数値を維持していた私には重い責任ものしかかっていました。

もしここで自分が諦めたら、支部全体の士気を下げてしまうのではないか。
DREAM集客が達成出来なければ、BPFも良いものに出来ないのではないか。

プレッシャーは日に日に大きくなり、私も一人では乗り越えれないようになっていました。そんな時に支えてくれたのが当時一緒に活動していた大阪支部のDREAMメンバーでした。

辛いことやきつい事も数え切れないぐらいあったけど、それでも一人申し込み確定するごとにラインでめちゃくちゃ盛り上げてくれたり、一緒に路上で声かけしたりして、みんながいたから私も最後まで頑張ることが出来ました。

だから伝えたいことは一つです。

もし自分がしんどくなったりきつくなったりした時は、遠慮なく周りの人の力を借りてください。DREAMチームは絶対に見放さないし、支え続けてくれる人がたくさん居るから。

私にとってDREAM集客は過去最大の壁だったけれど、それと同時にDREAMメンバーを心から信じれる存在になりました。改めてあの時は助けてくれてありがとう。


(応募締め切り当日の23時55分で達成した後に撮った写真☺︎懐かしい。)

3.自信がなくなった瞬間


またまたネガティブな題名から話は入ります。

集客期間が終わった次の日から、一次審査が始まりました。
(休む間も無くって感じだったなw)

約2週間の一次審査期間(グループディスカッション)は、毎日何十人もの学生の夢を聞くことができめちゃくちゃワクワクしたし、何より私自身何度も心打たれる瞬間がありました。

けれど審査人数の半数を超えたあたりから、自分の中に何か違和感があることに気がつきました。それは「あ、私には夢がない。」と

同世代の学生が「こんなことがしたい!あんなことがしたい!」と目をキラキラさせながらプレゼンしている姿を見て、同時に「私のやりたい事ってなに?」っと聞かれている感覚になっていました。

次第に人の夢を聞くのさえ辛くなり、こんな私が審査する側に回っていいのかと思うぐらい自分に自信が持てなくなっていました。

けれど目まぐるしく審査に終われる日々に自分の夢ややりたい事を考える時間はどこにもなく、あっと言う間に一次審査期間が終わってしまいました。


(けどやっぱりみんなのプレゼンは素晴らしく素敵だった。)


4.毎日が葛藤の連鎖

上記の話に続きますが、二次審査からは参加者一人につき、メンターたるものがつくようになっており、より一層参加者と深い関係で繋がるようになりました。

けどどこかしら自信のなかった私は、参加者からプレゼンのフィードバックが欲しいと言われても、表面的な事しか言えず、ただ笑顔で聞き続ける事しかできない自分にすごく嫌気がさしていました。

だからこの時に、もっと自分自身の能力を高めたい、私もやりたい事を見つけたいと思い、知り合いの方から大学生向けのセミナー(myself)にお誘いしてもらいました。

そしてこのセミナーがきっかけで自分の人生が180度変わるようになりました。簡単に話すと、三日間朝から晩まで「自分の人生の目的とは何か?」「どんな人生をこれから歩んでいきたいか」といった内省をする時間でした。

今まで私は誰かと比較し、その度自分を責め自信を無くしていました。けどこのセミナーで「私には価値があるんだ、もう誰とも比べなくたっていいんだ」と思うことが出来るようになりました。

他人との比較から生まれる葛藤で悩まされるのではなく、自分を信じ、なりたい姿に近くための一歩を踏み出せるようになったと思います。


5.自分のやりたいことが見つかった

最後になりますが、簡単に自分の叶えたいことを話そうと思います。

それは「誰もが自分の可能性を信じれる社会を作ること」です。

私自身このDREAMを通して沢山の参加者の人の夢や志を聞いてきました。

きっと世間からすると絶対できないと思われても仕方ないような夢であったとしても、みんな自信を持ってプレゼンをしてくれました。

それは間違いなくDREAMに参加してくれた人たちが作り出すコミュニティが互いを尊重し、応援し合える同志であったからだと思います。誰一人として馬鹿にする事なく、本気で世界を良くしたいと思ってる学生が集まってくるコミュニティはきっとどこよりも素敵だったと思います。

だから私は、DREAMのコミュニティを今度は社会全体に広げていきたいと思っています。夢を口にするのが当たり前になり、何でも挑戦したいと思える環境を作っていきたいです。

「やっても意味ないよ」や「どうせ無理なんだから」と言う社会の風潮を

「あなたなら絶対出来る。とにかくやってみよう!」と誰もが思える社会にしていきたいです。そうやって一人一人が自分の可能性を本気で信じ、一度きりの人生を最高に楽しんで欲しいと思います。


夢がなかった私がDREAMを通して、人生かけて叶えたい夢を見つけれるようになった。これが全ての始まりはDREAMだったと言う事です。


長くなりましたが、これからDREAMで活動するみんなへ。

今はどんな気持ちですか?ワクワクしてるのかな、それとも不安もあったりするかな?

きっとDREAMの活動は楽しい事だけじゃなくきついこと、辛いことも正直たくさんあると思います。けど間違いなく自分の人生の財産となる経験になると思います。


一人一人がDREAMやって良かった!TABIPPOやって良かった!って心から思えるように私も去年以上にパワーアップしていきたいと思ってます☺︎

これから一緒に活動できるのを楽しみにしてます!

野邊 秀紀
2021.02.20

”やってみよう”を心がけています。

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