僕と後輩 4.花言葉、愛言葉、隠し言葉。

「○○言葉ってあるじゃないですか。あれ好きなんですよね」
 いつも通り、僕が本を読んでいると彼女が言った。彼女は何かのカードをシャッフルしていた。トランプには見えないし、カードゲームか何かだろうか。カードには一枚ずつ、種類の違う花の写真が印刷されている。
「花言葉、とかって意味?」
「よく分かりましたね」
「目の前でそんな事されてたら分かる」
 彼女はあらかた札を切り終えると、僕の顔を見ながら机をトントン、と叩いた。こっちに来いという意味らしい。本に栞を挟み、小さな机を一つ隔てた彼女の前に移動する。
「先輩の恋路を占ってあげます。一枚選んでください」
 そう言うとカードの山を机の端に置いて、そこから一気に綺麗な扇状に開く。無駄に高い技術に少しだけ驚く。
 僕は悩んで、向かって右手側にあったカードを一枚抜き取ってみた。見るとそこには、一つの茎の先に無数に集まった薄紫色の花が印刷されている。
「何の花でしたか?」
「右下にリナリアって書かれている」
 差し出された彼女の手にカードを手渡す。彼女はリナリアの写真を見るなり、少し眉をひそめて不機嫌そうな顔をした。
「やり直しましょう」
「え、なんで」
「気に食わなかったので」
「こういうのって何回もやるものじゃなくない?」
「知らないんですか、おみくじだって満足するまで引き直していいんですよ」
 じゃあこの場合、「やり直そう」と言うべきなのは僕の方なのでは。そう思ったが面倒くさくて口に出さなかった。
 彼女がまた札の山をシャッフルする間、一瞬の沈黙が僕らを包み込んだ。その空気感が息遣いすら躊躇われるような鋭いものに変容する頃、彼女が何でもないように口を開く。
「これは持論ですが、会話というのは『何を言うか』ではなくて、『何を言わないか』だと思うんです」
「……何の話?」
 僕が訊ねると、彼女は「なんでしょうね」とわざとらしく首を傾げた。
「何を伝えるか、だけを考えるのはただの我儘です。そこから言うべきでない言葉、相手に受け取って欲しくない言葉を推敲して削り出す。それが会話の本質だと思いませんか」
 どうだろうか。言葉にしないと伝えたい事だって伝わらないような気がする。発した言葉をどう理解してどう受け取るかなんて、それは言葉の受け手側に委ねるべきだとも思う。でも、彼女が言いたい事を否定したいわけでもない。多分どちらも正解なのだろう。
「つまり君は、自分は我儘じゃありませんよって言いたいんだろ」
「いえ違います。むしろ真逆です。私は我儘ですよ」
 シャッフルを終え、また札の山を机の端に置き、綺麗な扇状に開く。彼女は「どうぞ」と言う代わりに手でその山を指した。
「私は凄く我儘なので、相手に見つけて欲しい意味のある言葉しか言わないんです。答えをすぐ口に出すなんてつまんないし、勿体ないじゃないですか」
「分からないな」
 僕は言いながら、向かって左手側のカードを一枚抜き取った。そこには、深い紫色の花弁が花開いた写真がある。カードの右下には「クロユリ」と、また花の名前が印字されていた。
 カードを手渡すと、彼女は受け取った瞬間に不敵な笑みを浮かべた。まるで、何かを企んでいるかのような笑みを。そしてその後で、「つまりこういう事ですよ」とまた意味深な言葉を発した。
「だから、○○言葉が好きなんです。伝えたい言葉を、そのまま口に出さずとも意味を伝えられるから。たった二文字の代わりに一輪の花を手渡す恋なんて、いじらしくて可愛いじゃないですか」
「満足したので終わりです」と、カードをまとめてケースに入れようとする。そんな様子を見て、僕は彼女にこう言ってみた。
「でも、何も言葉にしなくても、今の君の様子を見てれば何となく分かるよ」
「……何がです?」
 彼女と違って、『何を言わないか』よりも『何を言うべきか』を大切にしたい僕は、彼女の問いにそのまま答えを口にする。
「だって、『嬉しい』なんて言わなくても、今の君はそう感じてるようにしか見えないから」
 ケースを鞄にしまいながら、彼女は一瞬呆気に取られたような表情を見せる。でもその後で、また少し微笑みながら「そうですね」と呟いた。
「大切な言葉は隠しますけど、自分の気持ちには正直でいます。それを伝えたいと思っている私自身も隠しません。私は素直なので。これってどういう意味か分かります?」
 僕は眉を寄せ、「教えてくれるの?」と一応訊ねてみる。彼女はそれに頷く代わりに、内緒話をするように人差し指を口に当て、囁くような声でこう言った。
「これが本当の恋『うらない』です。なんちゃって」