124,3光年の先で、また交われたなら

 去年のアニメ企画でアニメ化された脚本を小説に起こしました。





 世界で一番ロマンチックなものがあるとすれば、それはきっと、道路脇に停車した二台の車の、
 
 何度読んだって、その続きが書かれる事はもうない。
 夏休みの始まる七月十九日、誰より偉大な小説家だった彼女は死んだ。天才らしい劇的な死に方なんかじゃない。ただの事故で、誰にも知られずひっそりと。
 パソコンを閉じ、自分のベッドに寝転ぶ。そしていつものように考えるのだ。僕ならこの書きかけの小説を、どうやって完成させるだろうか。
「停まった車の何がロマンチックなんだよ……」
 そんな悪態が口から零れる。スマホを確認すると、無機質な数字が「11:42」と、日付が変わろうとしているのを示している。彼女が死んだのを知ったのも、一か月前のこのくらいの時間だったかもしれない。
 そんな事を思い出した時だった。スマホが着信音を鳴らし、二つのメッセージを画面に表示させた。
『奇跡があるとすれば、あの日が私の誕生日の一か月前で、つまるところ今日という日が私の誕生日という事かもしれない』
『私はまだ、言葉にしたいものがある。あの場所に来て欲しい』
 ベッドから飛び起きて、その拍子に足をベッドの柵に思い切り打ち付けた。
 更新される事のない、ないはずだったトーク履歴にその二つが並んでいる。
 あり得ない。誰かの質の悪い悪戯だ。僕の理性という部分ではそう分かっている。でも、この回りくどい文章の書き方は、間違いなく彼女だ。何度も読んだ、彼女の言葉選びだ。本能という部分が、彼女だと叫んでいる。
 悪戯でもよかった。この言葉に縋ってみたかった。部屋を飛び出し、あの場所へと向かう。彼女が死んだ、あの場所へ。
 真夏の蒸し暑い夜は、僕から一方的に体力を奪っていった。一歩を踏み出す度、ベッドに打ち付けた部分が音を鳴らして痛む。不快な汗が流れる。息が止まりそうになる。それでも、苦しいなんて事を考える余裕も無く、僕はあの場所へと走る。
 遊具も何も無い、ただ小さな広場があるだけの公園。そこは道路沿いに囲まれるようにして、四方をボロボロの木の柵で囲われている。その柵に、彼女は腰掛けていた。
 僕の荒い息遣いに気付いた彼女は、僕の顔を見て、少し微笑んで手を振った。その手には、スマホが握られている。
「……どうしてなんだよ」
 息も絶え絶えに、僕が小さく言葉を漏らす。彼女は少し考えて、「さっき言ったでしょ」とどこか悲しそうに言った。
「今日が私の誕生日だからだと思う。幽霊ってやつなのかな」
「違う。どうしていなくなったのかって訊いてるんだ」
 少し大きな声で言うと、彼女はどこか驚いたような表情を見せた。どうして死んだはずの彼女がここにいるのか、なんて、そんな事は心底どうでもよかった。ただ、どうして僕の前から消えたのか。その事実だけが、僕をこんなにも苛立たせている。
「君が死んで僕がどれだけ苦しんだか、君に分かるはずもない。君のいない世界に、君の書きかけの小説に、僕がどんなにうなされたか」
「……そんなの知ったこっちゃないよ。ただの我儘を押し付けないで」
「何度も君の小説を真似た。何度だって君の言葉を模した。それでも、全然足りなかった。星に手を伸ばすみたいに、遠く及ばなかった」
 彼女が書きかけた、たった四十三文字。それだけの言葉が、こんなにも僕を振り回した。いつだって正解を探していた。どこにも存在しないものを、探し求めてもがいていた。
「君の言葉が知りたいんだ。死ぬなら、あの小説を書き上げて、その後で死ねよ」
 僕が叫ぶように言うと、彼女は顔を背け、顔を拭うような所作を見せる。泣いているのだろうか。彼女が泣く理由が、僕には全くもって分からなかった。僕の言葉に涙を流すなんて、彼女はそんな、人間じみた人間だっただろうか。
「……『星に手を伸ばす』、かあ」
 涙を拭った後で、彼女はそう呟いて空を見上げた。つられて僕も夜空を仰ぐ。深い黒色の中で、無数の星が怖いくらいの光を放っている。
「花言葉とか石言葉みたいに、星にも星言葉っていうのがあるの」
「……何の話だよ」
「今日は八月十九日。今日の誕生星はラサラスっていう恒星。ラサラスの星言葉はなんだと思う?」
「……知らないよ」
 彼女は腕を伸ばし、どこか遠くを指差した。僕が行けないその場所を。彼女の居場所であるその星を。人差し指のその先に、ラサラスはあるのだろう。
「死んだら星になるのなら、私はラサラスになるんだと思う。124,3光年のその先で、私は君を見てる」
 そう言って彼女は、ちゃんと笑った。それで僕は、ようやく気付いたのだ。届かないと分かっていても、その光に救われて、その光に手を伸ばしたい。その星を追い求めていたい。君に、手を伸ばしていたい。きっと彼女は。
「……君は、僕にとっての一等星だったんだろうね」
 恥ずかしいくらいの言葉が、僕の口から零れた。彼女は笑って、「ラサラスは四等星だよ」なんて事を言った。
 僕はこのつまらない地球から、彼女は宇宙で一番美しいラサラスから。いつまでも光を放っていよう。その光が交わる事なくすれ違うとしても、124,3光年先の君へ、光を伝えよう。
 彼女はスマホを見て、時刻を確認したようだった。幽霊のくせにそんな事はできるんだなと、そんな事を思った。
「もうすぐで日付が変わる。そうしたら私はいなくなっちゃうんだと思う」
 今日は彼女の誕生日だった。今ここに彼女がいる事も、そのせいなのかもしれない。今日が終われば、彼女は消えてしまうだろう。何か言い残した事はないだろうかと考えを巡らせて、ふと思った。
「世界で一番ロマンチックなものってなんだったの?」
 さっきのメッセージを思い出し、僕は訊ねてみる。彼女は「何の話?」とでも言いたげに眉をひそめて呆けた顔をした。
「それが、君が言葉にしたかったものだろ? その先は僕が言葉にするから」
 僕がそう言うと、彼女はまた悲し気に笑った。眉尻を下げて、「馬鹿だなあ」とでも言いたげに。
「私が言葉にしたかったのは、そんな事じゃないのに」
「……じゃあ、一体」
 君が言葉にしたかったものって何? そう訊ねる前に、彼女は僕の後方を指差した。振り向くと、そこには軽自動車が二台停まっている。星の光みたいに、眩しいハザードランプを点滅させて。
「ハザードランプって、同じタイミングで点滅してても、ずっと見てるとリズムが狂っていくの。綺麗にすれ違って、それでも徐々に近付いて、また同じタイミングで点滅する」
 そんなものが、世界で一番ロマンチックだと言うのだろうか。僕には到底理解できないものだった。彼女の言いたい事がまるで分からない。
「まるで私達みたいじゃない?」
 どういう意味? そう訊ねようとして、僕はまた振り向いた。
 彼女はそこにいなかった。一瞬考えて、スマホを取りだす。無機質な数字は「0:00」となっている。彼女がいた場所の、その足元には花束が供えられていた。
 そう言えば「ハッピーバースデー」を云い忘れていたと、僕は少し後悔した。こうやってすれ違って、次はいつになれば僕らは同じタイミングで光れるだろう。
 また夜空を見上げる。ラサラスはどこかと探してみたか、無数の星からたった一つの彼女を見つけられるわけもなくて、ただ夏の暑さにうんざりとした。