事実をもとに意見文を書くというライティングの課題で書いた文章です。
近年、「推し活」という言葉を至る所で目にする。
長年推しという存在がいる私からすると、大変馴染みのある言葉なのだが、近年の「推し活」は私の中でのものとは少し違うと感じている。
近年の推し活は、消費されるコンテンツになってきているのではないか。
人を出し抜きたいという欲求や、承認欲求など様々な要素から、消費されるコンテンツになったと見受けられると思う。
果たして、これらは真の推し活というのだろうか。私はそうは言い難いと思う。
現代でいう推し活の主流について調べるため、SNSで推し活と検索してみた。
Instagramだと、グッズを付けられる痛バッグの画像、推しの生誕祭の画像、推し活推奨のカフェのようなお洒落スポットの紹介など、お洒落でキラキラした投稿が多い。
ここで私が気になるのは、とにかくお金を落とし、人に見せることを過剰に重視しているように見受けられるところだ。
痛バッグも、生誕祭も、お洒落スポットも、とにかくお洒落だったり派手だったり見栄えとお金をかけることを重視している印象がある。
更に気になるのが、痛バッグや生誕祭で使うグッズが高価なものだったり、同じものを一面に敷き詰めたりして、とにかくお金をかけたものを「愛」と言われているところだ。しかも、これが現代の推し活の象徴になってしまっている。
これはつまり、推しのことが好きな自分が好きなのでは? と思ってしまうのだ。
対して、XではInstagramのような投稿も目立つが、イラストや購入したグッズの画像をただ載せるだけの投稿も数多くあり、とにかく多様だと感じた。
私の中での推し活というのは、グッズを買うとしても自分の中で欲しいものを欲しいだけ買う、痛バッグを作るなら自分の好きなグッズを好きなだけ詰めるといったように、人と競ったり見せたりすることよりも、自分が楽しむことを重視するものだと思っている。
Instagramに多く見られるような現代の推し活を全否定はしないが、Xのように多種多様なものであるべきだとは思う。
現代の推し活については、実際に悩んでる人も見受けられた。
SNSで視聴者の質問に答えているインフルエンサーに、お金をかけられないのに推してていいのか、自分の推し活は周りに負けてしまっているからどうしたらいいのかといった推し活関係の質問が多く寄せられているようだ。この質問に対し、インフルエンサーは大抵推し活の本質を忘れていないか? お金や勝ち負けではなく推しへの気持ちが大事なのでは? まず、比べるものなのか? といった回答している。こういった悩みを持つ人が蔓延しているのは、なかなか異常な事態ではないだろうか。
一方で、推し活というのは、お金を落としているわけだから、推しのためにやるものだという意見もある。
お金を落とすからこそ推しのためになっていることは、決して間違ってはいないと思う。しかし、それを推す側であるこちらが武器にしてしまうと、行き過ぎた行動に繋がり、まわりまわって推しに悪影響を与えることになる。
そうなれば、推し活が人を出し抜きたいという欲求や、承認欲求のための道具となってしまう。
最初にも述べたような、推し活が消費されるコンテンツになってしまっている背景には、こういった考えがあるからではないだろうか。
私が好きなVtuberであるラプラス・ダークネスのポストに、「オタク、自分が推しを見たい! から推し、俺を見てくれになった瞬間崩壊するじゃん」というものがある。現代の推し活を経て人を出し抜きたいという欲求や、承認欲求に駆られてしまうと、推し活が崩壊してしまう。という内容だと私は思っている。
だからこそ、現代の推し活は、真の推し活とは言えないと思う。
今のよりももっと多様で、消費されるコンテンツではない推し活になれば、それが真の推し活になるのだろう。
22070003 ノベル&シナリオ専攻 三年 熊谷夢奈
学生へのメッセージ、スカウトなどは「お問い合わせ」からご連絡ください。