こんにちは。米村です。
前回の記事の続きになります。まだ、お読みになっていない方は、お読みになってから、この記事を読まれると良いです。
【あの日の思い出】人生最大の挫折経験〜大学受験の失敗〜【前編】
https://pando.life/zero-discussion-0/article/39335
前回の記事で、私の意識を大きく変えるきっかけとなった挫折経験が大学受験の失敗だとお伝えしました。その当時抱いていた思いがどのようなものだったのか。当時、書いていた日記を元に振り返ります。この日記は、受験に失敗した年の3月末に書いたものです。
※これからの内容は非常に重い内容です。悲しい感情になりたくない方は読まないことをオススメします。
センターの結果、過去問の取り組み内容、前期入試での感触から合格を確信し浮かれる。自分は国公立優先の方針で受験勉強していたので一応、後期の受験勉強をする。ただ、後期は一科目入試だったこともあり1日3時間程度しかやらなかった。結果論になるが前期入試以降、勉強のペースを緩めたのは少し後悔している。
前期合格発表~後期試験まで
合格発表前日。近所に住む友達と偶然出会い、合格発表前日で心が浮かれていたこともあり、彼と一晩中遊んでしまう。
流れで彼は私の家に泊まり合格発表を一緒に見ることに。
そして、、、、
合格発表当日
番号は、、、、
ない
自分の目を疑った。受験票の番号が間違えているのか、北大が掲示ミスしたのではないか、パソコンがバグっているのではないか、、、
何回も、何回も受験番号を確認した。
ただ、、、
僕の番号はなかった。。。。
振り替えると、あの日の記憶は少し抜けている。
確か、僕の合格発表に居合わせた友人が気まずくなったのか、その後ひっそりと僕の家を出ていった気がする。
結局その日は勉強していない。
翌日、気持ちを切り替えねばと思いつつ、切り替えられない自分がいた。
一応、勉強はしているものの今一つ頭が働いていない。
効率はかなり悪かったと思う。
その日以来一歩たりとも家の外へ出なかった。
否、行けなかった。恥ずかしくて、、、死にたかった。
人前に出るのですら嫌だった。自分が皆と別の世界にいれば自分はこんなにも苦しむことはないはずだ。
。。。。。。
そう思った。確か、カッターや爪切りで少し自分の手を切った。
血が出てきた。
手が真っ赤になった。
別に痛みは感じない。
もっと赤くなっていいと思ったけど、流石にやめた。
話は少し逸れるけど、3月後半に僕と会った人のなかで僕が軍手やゴム手袋をつけ続けていることを不審に思った人が多いと思うが、それは間違えなく、あの日の影響である。
その後、取り敢えず身内から連絡した。母とお婆ちゃんに。
彼女らが電話に出る時、ワクワクしたような声で出てくれたのが逆に辛かった。
落ちたことを伝えると案の定トーンが変わる。
それから2時間ずっと泣いた。
僕が。
泣きすぎて言葉が出なかった、、、。
僕自信あれほど泣いた記憶はない。
多分、一生のうち最初で最後だろう。。。。
「もう、もう自分を苦しめる必要はないじゃないか」
神様にいいたかった。不公平にも程がある。
いや、人と比較してはいけない、してはいけないと思いつつ、そう思ってしまった。
模試の結果を見る。AもBもCも全部。全部E判定に思えてきた。
何をすれば合格になるのか解らなくなった。
確かに合格点を越えれば合格なんだけど、合格点がなんなんだか解らないのだ。
おそらく、この感覚を理解してくれる人は少ない。
自分の悩みを解ってくれる人などいやしない。
誰かの励ましなど所詮建前。
裏で何を言われているかわかりゃしない。
もう誰も、そして自分も信用できない。
俺は、俺は何をすればいいって言うんだ。。。。
書いていて思ったけど、自分でも自覚できるぐらいに精神年齢が下がっている。
限界まで落とされると理性もコントロールできていないのかな。
次、自分の将来で同じことが起きたとしても自暴自棄になることは避けられないと思う。とすると意識の持ち方を変える必要がある。
どう変えて行けばいいんだろう。
以上が日記に書かれていたことです。
現実が見えなくて、ひたすら自分の世界で絶望していた、あの時の自分を思い出しました。この未来の見えない絶望感からどう立ち直ったのか、明日投稿する次回記事でお伝えしようと思います。
これほど壮絶な体験を公開できる貴方の姿は立派です。
似たようなエピソードは他にもあるので需要があれば後悔していきたいとお思います!