※携帯での編集につき改行がいびつなのはご了承下さい。
私がリングアナとしてデビューした2006年
とあるプロレス団体で何一つ教えてもらわずデビューしました。
そして右も左も分からないまま、数ヶ月後に当時凄まじい勢いだったK-1MAXの横浜アリーナ大会にてリングアナとしてデビューさせて頂きました。
控室で関係者の皆さんに挨拶をさせて頂こうとしたんですが、既に控室はピリピリムードで
「え、なにこの空気…きっつー」って感じたのを今でもハッキリ覚えております。
そのムードはどうやらとある一人の方が発するオーラだと瞬時に察しました。
その方はK-1やHERO's、K-1ダイナマイトなど、全ての総合演出、舞台監督を務められてる方でした。
今振り返って、とにかく当時は「恐怖」の一言でした。
京セラドーム5万人の前だろうがなんだろうが一切緊張なんてしない私ですが、唯一その方の前では緊張しっぱなしでした。
声量の調整から間の取り方、立ち位置
一から千まで
事細かく指導頂きました。
間違いなくナンバーワンコンテンツだった当時のK-1
年間数大会の中で、ほんの2か3人だけしかリングアナウンサーとして選ばれない誰もが憧れる一握り、外されたら代わりでやりたい人間は山ほどいるなかで
ポジションを守り抜くのに必死でした。
K-1MAX、HERO's、K-1ダイナマイト
この期間に学んだ事全てが今の自分に活きてます。
基本的な事はもちろん、プロ意識、プロの仕事というものを全てそこで学びました。
だからこそ私はこの先の全ての仕事に「プロフェッショナル」を追求してこだわっていきたいです。
フリーになってから
プロ意識のカケラも無い人達、現場、での仕事に携わって尚更感じました。
(その辺の内容は昔のブログでも探して暇潰しに読んでちょんまげ)
その集大成であり新たなスタート、挑戦でありますMoveOnPro-Wrestlingの旗揚げ戦は
コロナウイルスの影響によりまだまだ延期日決定の目処は立ちません。
そんな、プレッシャーと不安に押しつぶされそうな先日
その監督が大阪に来たついでにフラッと店に寄って下さって話をしてくれました。
「なおきくんは今35だろ?僕がK-1の仕事しだしたのがちょうどその歳ぐらいの頃、石井館長と一緒に先も何もわからない新たなチャレンジをしたのがその頃。
ゆっくり落ち着いてやればいい、まだまだ若いんだから」
そんな言葉を頂きました。
その言葉でスッと楽になりました
私がやっていた別の仕事や巌流島のリングアナなんかもわざわざ見に来て頂いて
「立派に仕事を務めてるね」
と言葉を頂いた時も
岐路に立った時、いつもそこに現れて下さる方。
ありがとうございます
今城社長
最高の時代を生きた全ての人が
「あの頃が1番よかったね」だったのが「今が1番」といえる様に…