私の不可能な夢

「努力すれば必ず夢は叶う」って、よく聞きますよね。正直、叶わない夢も確実に存在します。どんなに努力しても達成しないと分かった時にはきっぱりと諦める覚悟も必要です。と、語っている私はまだまだ覚悟が足りていないのですが…。


暗い話になってしまいますが私の経験談をざっくりと書き記してみようと思います。

私は中学生の春、沖縄旅行で初めて飛行機に乗りました。青い空に青い海。ずっとうっとりしながら眺めていました。ですがその絶景よりも惹かれたものがあります。それは、CAさんです。お客様の国籍を見分けて様々な言語で話す姿やきらきらとした笑顔、しなやかな仕草。瞬時に私の1番の憧れの的となりました。正直、沖縄に着いてからもCAさんに会いたくて早く帰りたいと思っていたほどです。そこから私の夢はCAでした。

高校生になって英会話を習い始めたり、マナーやメイクの勉強をしていました。目標を達成するための努力ってこんなにも楽しいんだなと感じ、友達や先生に「CAになる!」と、堂々と話していました。

やっと見つけた夢に向かってひたむきに走っていた私を、瞬時に暗闇へ引き込ませてしまう出来事がありました。

高校生3年生の春に、脊椎の持病が急激に悪化していたことが分かったのです。薄々悪化には気づいていたのですが立ち止まったら今までの努力が水の泡となってしまうことを恐れて、ずっと誤魔化すことしか出来ませんでした。

そして、8時間を超える大手術。いくつもの金属ボルトを背中に差し込まれました。私はCAになるために必要なことをたくさん学んでいたため、ボルトを入れた時点で夢が絶たれたことはすぐに分かりました。それでも諦めのつかない私はボルトを入れてでもCAになれる方法や日本のCAになれないのであれば他の国…と色々な方向から探ってみましたが、惨敗でした。背中を曲げることの出来ない不自由なこの体が大嫌いになって、毎晩のように1人で泣いていました。

その絶望から3年。まだ新しい夢を見つけることができていません。やりたいことが見えても、術後の縫い跡の痛みがそれをかき消してくるのです。やりたいこととできないことが重なってしまう恐怖に打ち勝つことができていない自分がいます。

それでも、希望を捨てた訳ではありません。CAを目指していた頃の勉強は他でも十分に活用出来るものであるし、大学生になって色々な活動をしているうちに価値観が一気に広がりました。可動領域内でもっともっと理想に近づく努力を欠かさないようにしていればいつか満足のいく自分になれるのではないのかなという期待を持っています。

ここで、これを読んでくださった皆様にお伝えしたいことがあります。

努力して叶う夢があることは本当に幸せです。例え険しい道だとしても、簡単に諦めてしまうことはしないでください。

いつか貴方の夢が叶いますように。