カンボジアで感じたことのすべて

 今までの活動の中で一番モヤモヤして帰ってきた。言い訳すんのとか、モヤモヤしてんのとかめっちゃ嫌いだけど、すげえおっきい一年分の宿題を貰ったみたいな、そんな隊だった。最後じゃなくて良かった。来年のために、カンボジアで感じたこととか、帰ってきて少し落ち着いた自分で感想を書いときたい。


 まず、宣言として来年の個人目標。

   『隊全員の班長になる』


《俺が感じたカンボジアという国》

 カンボジアは「THE東南アジア」な国で、俺にとって新しいことだらけで、今まで行ったところとは違って悲惨な歴史を背負った国だったから、向き合い方が難しかった。キリングフィールドとトゥールスレンに行って、実際の人骨を見たとき、正直今との繋がりを感じなかった。例えば、歴史博物館に行った感じに近かったと思う。

 

 こないだ原爆ドームに行った時はあんだけ悲痛な思いになったのに。きちんとポルポトの残酷な歴史は自分なりに調べて言ったつもりなのに、どうしてか感じ方が全く違くて、国境は越えたけど、大事なところはまだ越えられてないんだなって思ったのがすごく印象的だった。来年行ったら、どんなこと感じるんだろうなぁ。



 そんな一方で、同じくらい感じたのが「カンボジア人が好き」ってこと。インドの時は、インド人が好きだ!って言うより「こいつ好き!」って感じだったけど、カンボジア人が好きになった。その理由はホームステイだったのが大きいと思う。本当に本当に、お父さんお母さんが優しかったんだわ。初めて会ったとは思えないくらいに、自分の腹を痛めて産んだ10人の息子みたいに愛してくれたのがなんか、すごい嬉しかった。


 水が合わなかったせいで、俺のおしりはほぼガロンだった位(ガチ)の時に、カンボジアのよくわからん塗り薬をくれたり、言葉なんて通じないのは分かってるくせに、クメール語でお腹をさする仕草をしながら必死に心配してくれたこと。一生忘れないよ、ありがとう。


 それから、お父さんと夜話した時にポルポトのことを聞いたら、真剣に語ってくれた。でも、俺らの方が所々詳しかったり、何しろカンボ学生のウェンが痛ましい歴史について何にも知らなかったことに本当に驚いた。ふつうにショックだった。教育って「今」を国の歴史の上に積み上げる営みだなって思ったし、日本の歴史は、きちんと後世に俺が伝えていかなきゃなと思った。



 そして、何よりカンボ学生の2人。ありがとう。意思の疎通が少し難しい中でも、気持ちが通じた気がした。今まで、アメリカとかインド行っても日本人といることが多くて、友達っていう友達はできなかったけど、初めて外国に友達ができたと俺は思ってる。


 最後に大泣きしながらハグしてくれたこととか、柄にもなく大声出して「ありがとう」って言ってくれたこと、ずっと忘れないつもりだよ。




《一年分の大きな宿題》

 俺にとって大きな出会いがともき。本当に話の内容じゃなくて、集団でも一対一でも「場のつくり方」をあいつからすごく学んだ。真似するもんじゃないし、しないけど、盗めるもんは盗むし、俺のものにして、ある程度形にした状態で絶対来年行ってやる。


 本当に今回は班長としてやりきれなかったなぁ。ともきみたいに言葉や姿で影響を及ぼす班長像じゃなくて、俺がなりたかった班長は、一人一人の途中式に寄り添うような班長だったけど、それも出来なかった。言い訳は嫌いだからしないけど。


 ともきとかゴリさんとかにあって、俺に無いものの一つに「即興力」「演技力」があると思う。言われたことを伝える時に、その場で言葉の温度を再現したり、もしくはそれ以上を出せる即興力、演技力が2人にはあるなってすごく思う。


 初めて現場長をしたし、初めて国際隊の班長をして、なんていうか楽しむ余裕が無かった。役職に囚われて、自分がなおざりになる感じがしたし、活動とか役職に対して自分の芯が無かったから、自分が吸収する前に、飲まれて流されてしまったんだと思う。事前って大事だわ。


 来年は絶対になんも後悔しないで帰ってきてやる。それから、俺が見た景色をまだ見たことない人と一緒に見てやる。


 隊全員の班長になる。