10月29日の感想


若者ジャック
西江よしのぶさん
亀石八幡神社20代宮司さんで
いらっしゃいます。

お話しとても分かりやすく、
何も知らないものでもお祓い
の意味と重要性教えて頂き
ました。

日本を学ぶと日本が一番の空気
になってしまうのが僕にはどうも
好きになれなくて。

西江さんのお話は互尊(ごそん)
お互いの良さを認めて補い合う
人本来に根ざしたお話しでした。

人本来の軸を育てる為に過去の
思考のゴミ(バグ)を消して
本来の自分の可能性に気づき
自信を取り戻す為にお祓いを
する。とのことでした。
これはどの宗教にも元々あった
ものでその地域の自然や風土に
よって解釈が異なるだけだ。と
教えて頂きとてもスッキリ
しました。

言葉の音波紋も面白く
ハの音は中心から外への力
ラの音は中心の音でお腹から
  声を出すことを表しています。
フの音は触れるを表し感じる
    大切さを伝えています。

ハルは生命力と共振共鳴を表し
光りが入るとハがハルに変わります。

ハルは心の張り。緊張を示し、
秋から冬に寒さと緊張の時期に
なり春になると解放されて
草花を始め生命が一斉に芽吹く
季節となります。

軸とは自分の中心力で自分を
大切に想い日々を丁寧(ていねい)
に過ごす事で自信となり他を
想える心が育つとのことでした。

自然や他のものに感謝して
姿勢を正し鼻から息を吸い
肺を一杯酸素取り込み、
ゆっくりとした気持ちで
人やものに触れる事で
人本来の慈しみの心を
育ててまずは自分と自分の
地域に幸せを感じる事を
始めてみようと思いました。

ありがとうございました。

今井裕之(いまい ひろゆき)さん
 本居宣長(もとおり のりなが)
について。
 
 想いが伝わってこその講義。
初めて聞いた「人が誰かに話したい!」いわゆる
すべらない話が出来る事ってとてもわくわく
するんですよね。

今回はそんなお話しでした。
本居宣長。江戸中期の国学者。
三重県松坂(みえけんまつざか)
の生まれ木綿商人の子として
生まれるも学問にのめり込み
母より京に行き医者となって
まず暮らしを立てる事を
諭(さと)される。

好奇心旺盛でお伊勢参りや
商人の交流の多い松坂で
なんでも疑問に思った事は
人や本に問い天皇の家系図
や地図を17歳で作ってしまう
程。好きこそものの上手なれ。
後の世に役立つ偉業を遊び
感覚で熱中して出来る事程
幸せな事はありませんね。

学問をする内に古事記(こじき)
[日本最古の歴史書神話]の興味を
もつ。当時、日本書紀(にほん
しょき)[日本の歴史書正史]の
方が読み易く漢文の解釈の
出来る者が稀(まれ)[ごくわずか]
だった。

そんな折、国学者の賀茂真淵(かもの まぶち)との面会を果たし「松坂の一夜」(まつさかのひとよ)で賀茂真淵は
万葉集を研究したので古事記は本居宣長に託すとなり、以後賀茂真淵が亡くなるまで手紙のやり取りで熱い議論を交わしながら多くを学んだ。
日本初の通信教育?ですね。

賀茂真淵が亡くなったあと独自
で研究を続け35年の歳月を
経て44冊の注釈書が完成し
幅広く古事記が読まれる様に 
なり、日本の神話と先人の
想い八紘一宇(はっこういちう)
[世界を家族の考える思想]が
語り継がれる事が出来ています。

契沖(けいちゅう)[真言宗の僧で国学者]、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤
(ひらたあつたね)[江戸後期の国学者
で復古神道の大成者]に繋がり
日本独自の精神性が育まれて
いきました。

本居宣長
もののあはれで頭ではなく感じる
事の大切さを説き、不思議で森羅
万象、(しんらばんしょう)[すべての
もの]目に見えない神(サムシンググレート)に感謝をし計画的、継続的に
学びと教えを続ける事で門人500
人に慕われ72年の生涯を終え
られました。

有難うございました。

植松有麻呂(うえまつ ありまろ)
さん宣長神社代12代
「本居宣長神社の歴史」について

明治8年に建てられ本居宣長と
平田篤胤の二人の国学者が
祀られています。
 
植松さんのご先祖様植松有信
(うえまつありのぶ)尾張藩(現在の
愛知県名古屋市)で政権争いに敗れ
失職し、版木の彫り師になり
本居宣長に仕えたご縁始まり
という事ですからご縁のお話し
は何方のを伺っても素敵ですね。

昭和20年GHQの統制により
国学が禁止となり日本の
保護なっていたお社が
植松さんの家族で支える
事になってしまい、
維持管理にご苦労されて
いるとの事です。

日本道に出会わなかったら
本居宣長の素晴らしさ
や古事記の良さもわからない
ままだったと思います。

賀茂真淵と本居宣長の
「松坂の一夜」の原画が
あるなんてすごい事です
大切に守ってくださり
頭が下がります。

知らなけば感動する事も
ない一枚の絵ですが
謂れ(いわれ)を伺い
歴史を知る事で豊かな
感情と感動が生まれる
ので興味がなくても
聞いてみるのは大事だと
思いました。

四五百森(よいほのもり)
は五は門の曲がりを表し六は
二里(一里が約四km)を示して
いるといわれる意悲(おい)神社
が宵(よい)の森となり四五百
(よいほ)森となったのでは
ないか。と言われている 
との事でした。

西村吉右衛門(にしむら きちえもん)
さんより江戸の儒学者、堀 景山
(ほり けいざん)がメモ魔の宣長
が大京日記を書いていた事を
お話しされていました。

萩原さん質問から青い目の人形の
作曲家本居長世(もとおり ながよ)
さんは本居宣長の門人が養子となり
本居大平(もとおり おおひら)の
子孫にあたる事が分かりました。

宣長の実子、本居春庭(もとおり 
はるにわ)は幼少期より宣長の
口述筆記を行うなどを手伝って
古事記伝の版木や薬の販売も
手伝っていたが目を悪くしたので
宣長の死後お弟子さんの大平を養子に
して家督を譲らせた。

失明するも動詞の活用を体系化
詞八衢(ことばのやちまた)を
発表した。この動詞の活用は
現代も元となっているとの事
でした。

日本道ならではの知識の枝葉が
伸びるのは楽しいですね。
ありがとうございました。

名言ランナー
勝見恭子(かつみ きょうこ)
さん
め・・・目黒区で
だ・・・誰もが
か・・・輝ける場所


校を運営されています。
4年間の運営の中から
出てきた種の志から皆さんの
想いを肥やしとして育まれた
言葉。日々を丁寧に目の前の
事に直向きに向き合って来られた
勝見らしい名言の成り立ちだと
思いました。

ありがとうございました。
















早朝オンラインゼミの感想
117件