西南学院大学主将 佐藤陽です。
今回から死生観を考えるようになった背景をキーワードとともに振り返っていこうと思います。
<幼少期の経験とお通夜>
これが今回のキーワードです。
振りかえって見た時、何となく小学校くらいから、生きることと死ぬことっていうのは考えていたような気がします。
職員室の前の黒板に、今日は忌引き欠席何人、みたいなのを書く欄があって先生に忌引きの意味を聞いてからというもの、今日は0でありますようにと願いながら見に行っていたのを覚えています。
何でこんなこと考えていたのかなと考えた時、幼い頃、可愛がってくれた近所のお兄ちゃんが車にはねられたのを目の当たりにしたことが大きいと思います。幸い一命は取り留めたのですが、幼い私にはとてつもない衝撃でした。
また、昔から生き物が好きだったので、生まれて死んでいくということを動物からも学んでいた気がします。
そんな小学校生活を送っていたんですが、それから中学、高校と進学していくにつれ、当然のことながら友人の大切な人が亡くなることが増えてきます。
今でも鮮明に覚えている出来事があります。友人のお母さんがお亡くなりになられた際、お通夜に参列したのですが、その時の友人の表情です。
普段は底抜けに明るくムードメーカーのような存在、そんな友人は泣き腫らした顔でしかしそれでも笑顔を作り気丈に参列者に頭を下げていました。
その時、この人はなんて強い人なんだ、と胸を打たれ、同時にかける言葉が一言たりとも出て来ませんでした。何も言えなかったこと、友人の表情は一生忘れることがないと思います。
私自身、今年で22歳になるのですが、幸いなことにまだ、身近な人は誰も亡くなっていません。
しかしそれも相まって小、中、高の半ばまで死ぬということがあまりにも曖昧に、「怖いものだ」という印象がどんどんと強まっていきました。
今回はここまでです。次回は私のこの死生観をガラッと変えてくれた1本の映画の話をしたいと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!