2020年7月熊本県・鹿児島県豪雨災害

深夜のテンションなので、思いのままに綴ります。



土曜日の朝目が覚めると、大学の友人から私の実家を心配するラインの通知が届いていました。

昨晩見た雨雲レーダーを思い出し、急いでテレビをつけると、そこには私が生まれ育った大好きで大切な宝物のような街が、21年間の記憶とは変わり果てた姿で映っていました。


すぐに家族とは連絡がつき、実家も祖父母の家も大きな被害はなく持ち堪えているようで安心しました。

ですが不安は募るばかり。

1日中ニュースに釘付けになったのはいつぶりでしょうか。

亡くなった祖父が生き甲斐として大切に守ってきた畑は、父がこの春から引き継いでくれていましたが、そこには泥水しかありません。

初めてのグローブを買ってもらい、何度もスパイクの修理を頼み、いつも私のソフトボールを応援してくれて、大好きな松本哲也氏のポスターをサービスしてくれた、行きつけのスポーツ店も完全に浸水していました。

私の書道作品が展示されたのを家族皆が喜んでくれた思い出の建物は、屋根と看板しか見えない状態でした。

親友と毎年初詣に行く国宝青井阿蘇神社は鳥居だけが見えていて、神殿まで水に浸かっていることがわかりました。

球磨川が増水し、何度もソフトボールの大会で使用した河川敷の球場は、陸地丸ごと、思い出もろとも飲み込まれました。


これまで何度も、大規模な自然災害をニュースで目にしてきました。痛々しい姿を目の当たりにしながらも、どこか他人事でした。というよりも他人事にしか感じられなかった、が正しい。だけどここまで変わってしまった故郷を見れば見るほど、現実が襲ってくる。少しずつ、現実を受け止めなければならないのだと感じる。


大好きな街。

人吉は田舎。そうです。ド田舎。だから、というわけじゃないけど温かい街。高齢者が多い。街ですれ違うおじいちゃん、おばあちゃん、皆挨拶してくれる。小学校までの通学路、何人もの高齢者の方が子供の安全を見守ってくれている。沢山の顔を思い浮かべて、今どうしているのか考えると、苦しい。何をしたらいいのかわからない。どうか1人でも無事で、どうか少しでも被害が少なくあってほしい。


故郷がこんなに苦しんでいる中、私はいつも通り食事をし、いつも通りにテレビを付け、いつも通りにお風呂に入る。そんな当たり前なことができていることが今は悔しい。なんで自分は当然の如く無事なのか。なんで家族は、友人は、知人は、苦しんでいるのに自分は何も出来ないのか。だけど今は闇雲に支援物資を送るなど迷惑な行為はできない。被害が最小限に抑えられることを祈るばかり。それしかできない。無力だ。

公式にボランティア要請が出たらすぐに出向こうと思う。今は、大好きな街の無事を願う。家族に少しでも声を聞かせよう。


私が生まれ育った街、被害に遭って完全な元の姿に戻ることは難しいし、故郷の皆が元のように暮らせるには何年かかるか分からない。だけど大好きな街だから。私自身が少しでも貢献したい。

素敵な街です。

急流を下る球磨川ラフティング(やったことない)

3時間待ちの行列ができる有名鰻屋(食べたことない)

昭和レトロな趣溢れる温泉旅館(泊まったことない)


この投稿を見ている方が、いつか人吉に、球磨地方に、熊本県に遊びにきてくれたらいいな。以前も、災害も、今後も、全て含めて人吉、素敵な街だと思ってもらえたらいいな。


深夜だから。文章に一貫性がないのは分かってます。

ただ、今思ったことを書きました。


午前田尻、ちゃんと起きれますように。

少しでも長く晴れが続きますように。


画像はカミツレ (フリー素材)

花言葉 苦難の中の力

2020.07.05

ニュース見た瞬間、1番に理恵さんが浮かびました。
1日でも早く日常が戻ってくることを祈っています。

迫田 理恵
2020.07.05

戻りますように😚

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