想像してみる。
何かをしている自分を。何か行動をしている自分を。
・・・想像しただろうか?
なんでもいい。適当でいい。例えば、「電気をつける」
このメリットは何だろうか。
明るい。物が見える。作業ができる。暗くなく安心できる。
では逆にデメリットは何か。
電気代がかかる。電球が熱くなる。虫が寄ってくる。
人間が行動をするということは、メリットを求めているのだ。
逆に言うと、デメリットを無視している。ともいえるだろう。
しかし、思うだろう。「デメリットを無視している?」と。
誰もが考えていないだけで、人間はデメリットを無視している。
それが資本主義。大量生産を生み出したのではないか。
ならば、「デメリットのないもの」を人間は追い求める。
「デメリット」が無ければ、平和に解決するだろう。世界にはびこる問題が。
果たして、「デメリットのないもの」が存在するのか。
僕の答えは”NO”
そんなものは存在しない。というか、あるならば、それが世界中の誰もがするべき行動の答えだ。
そこで人間に求められるのが「選択」。
どうすれば「一番デメリットが少なく、メリットが多いのか。」それを人間は選択する。
「選択」が違えば人間は対立し、争う。その結果が、いじめであり、喧嘩である。
自分にとってメリットが大きく、デメリットの少ない行動、選択をした末路だ。
だから世界共通の正義なんてものは存在しない。
ただそこで争うという「選択」をすることが一番のデメリットである。
それに気づかない人間が多すぎる。僕はそう思う。もしかしたら自分の過去もそうなのかもしれないが。
少し話は変わるが、生物の世界において、
「2つの生物が同じ住処を争う際、争って、2つの生物が生き残ることはない」。
さあ我々はどうすべきか。
自分に対するメリットを追い続けるのか。
逆に自分に対するデメリットを削ることができるだけ削るか。
それとも「行動」自体しないか。
または、「自分に対する」という考えを変えるか。
ただ、メリットかデメリットか行動しないか変えるか。
その「選択」も我々次第だろう。