人生を左右する「コンプレックス」について

絵画の背景などを読み取り、文章にしたものの二作品目です。
今回はサルバドール・ダリ の「死んだ兄の肖像画」より、考察等したものを書いています。

執筆にあたって引用したもの
https://euphoric-arts.com/art-2/salvador-dali/
https://note.com/jusho/n/n6ae71ab18965
TASCHEN サルヴァドール・ダリ/ジル・ネレー著



https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33315207/picture_pc_7e5f33c9199b9fe874b7d1c8688f0f53.png?width=800
これは「記憶の固執」で有名なサルバドール・ダリが1963年に描いた、「死んだ兄の肖像画」だ。
タイトルからわかるとおり、彼の兄は亡くなっている。それは彼が生まれる前のことだった。
兄がいた事実を告げられたのは、1909年。ダリが5歳のころだった。彼の両親から聞かされたのだが、それが最悪の形だった。
両親曰く「兄もサルバドール・ダリだった。だからお前は兄の生まれ変わりだ」と。
この時のダリは、自分が兄の身代わりとして生きていかなければならないことを知ってしまった。現代で言うと小学校に入学するぐらいの年齢で、彼は自身の存在を否定されたのだ。これほどのコンプレックスを植え付けられるには、幼すぎる年齢。あまりにも残酷すぎるのではないだろうか。
それでも彼は健気にダリとして生きなければと思った。子ども特有の親に認められたいという感情から、両親に見放されると思ったのだろう。それが絵を描く原動力
 
この絵について、ダリ本人が黒は自分、赤は兄だと語っているという。
絵をよく見ると、黒と赤が混じっている部分もみられる。右端には、槍で赤を潰そうとしているらしき箇所もある。自分に重ねられた兄を払拭しようとしても、できなかったことを表しているのではないかと思った。
また、赤が強い部分が輪郭を作っていることから、自分を確立しているのは兄であるということも表現したかったのだろう。
5歳から続く、54年間の苦しみ。きっとそれは、この絵を描き上げた以降も続いていたはずだ。簡単には想像できない辛さだが、なぜか私には痛いほど伝わってくる。
 
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。『サルバドール・ダリである』という喜びを
これはダリが残した言葉だ。ダリの生き方を表す名言のため、聞いたことがある人もいるだろう。
この言葉を聞いて、彼にどんな印象を抱くだろうか。ただの天才気取りだとか、有名になって気が大きくなっているだけだと思う人もいるかもしれない。
ただ、私はその感想をあまり抱かなかった。彼の人生を少し覗いてみた私は、この言葉がどこか悲しいものに感じる。
彼は、「画家・サルバドール・ダリ」であることに執着していたのかもしれない。
それは、自身は兄の代わりであるというコンプレックスから来ているのだろうか。
芸術こそが自身の承認欲求を満たすものという考えがあったのだろうか。
 
コンプレックスというものは、呪いと例えられることがある。
兄もサルバドール・ダリだった。だからお前は兄の生まれ変わりだ
この言葉を言われた瞬間、彼は呪いにかかってしまった。もしこれがなかったら、彼の人生はどうなっていたのだろうか。
だから、コンプレックスは人生を左右するのだ。

22070003 ノベル&シナリオ専攻 二年 熊谷夢奈
学生へのメッセージ、スカウトなどは「お問い合わせ」からご連絡ください。

学生ポートフォリオ
879件