『京都御苑』

皆さん、こんにちは!もうすぐお盆で長野に帰省してるゆいはです!

皆さん突然ですが、京都の地図を見て1番初めに目に飛び込んでくるのは何でしょう?

そうですよね!多くの方は長方形の広大な敷地を有している『京都御苑』を見つけることでしょう👆。

京都御苑自体は非常に広大な公園でその内側は木々や砂利の道で整備されています。京都御苑自体が完成したの明治時代で、歴史自体はそれほど古くはないんですよ👐。京都御苑がある場所は元は公家屋敷などが立ち並んでいて、貴族さん達がその場所で暮らしていたんですね。ちなみに、なんで今のように公園になったかというと、その理由は明治天皇によって行われた東京奠都なんです。天皇が皇居を京都から東京に移したことによって、上級の貴族さんたちも一緒に東京に行ってしまい、この地は非常に荒廃してしまったからなんですね。その荒廃ぶりは時の明治天皇も酷く嘆き、天皇自身の命令によって復旧作業が行われ、現在のような姿になったんですよ!

京都御苑の成り立ちに関しては上記に記した通りなのですが、この京都御苑を語る上で外せない話があります!

皆さん、蛤御門の変(禁門の変)という幕末期に起きた事件をご存知でしょうか?この事件は京都中に火が燃え移り、町中が大ダメージを受けた事件として有名です。また、幕末という激動の時代の中でも一際大きな戦いでした。この戦いは思想の違いから京都を追い出された長州藩VS薩摩・会津藩などのような藩士という構図でした。

話は変わりますが京都御苑は東西南北に複数の門があり、そこから園内へと入ることができます。その内、西側の門の一つに蛤御門(禁門)という門があります。この蛤御門は先程説明しました、蛤御門の変の火蓋が斬られた場所なんです!実際に蛤御門へ足を運ぶと当時の銃弾の後を確認することができますよ😳。

是非京都御苑の近くを訪れた際は自身の目で確認してみてください。