「てらこやみなとみらい」は、「いま」を育む場であると信じています。
「大人」に未だ半身しか浸かっていないはずの私たちですら、幼少期の思い出というものはセピア色がかってしまうものです。
当時忘れるはずもないと思っていた「あの瞬間」も、心震わせたはずの「その瞬間」も、今となっては朧気で、実像を捉えません。
こうして積み重なった「いま」「この瞬間」は、血肉となって「私たち」を形作っています。
けれど、その感覚は霞のようで、社会という壁に行き当たっては萎んでしまう頼りない存在でしかありません。
「子ども」という期間は、言わば「大人」への準備期間です。
彼ら彼女らという一人の人間が、何を実現するのか ―或いは、「何に」なるのか― を見定めるための、限られた時間となります。
その一瞬を、私たちならば変えることができると思うのです。
数少ない「子ども」時間の、ほんの一ページにも満たないはずの「いま」を、色鮮やかに装飾できることこそが、「てらこやみなとみらい」の価値ではないでしょうか。
子どもたちは、「いま」何を感じているのだろうか、「ここで」何を思うのだろうか、といった想像力をフルに活用し、彼ら彼女らの人生を彩る手伝いをしてあげるということ。
これこそが、私の感じる「てらこやみなとみらい」の可能性であり、「いま」を育む場という言葉の意味であります。
何年後、何十年後経ったある瞬間に、ふと「てらこやみなとみらい」を縁として思い出される「いま」の累積点が、子どもたちの未来につながることを信じています。