えー、どうも。毎度ありがとうございます。
山亭ぽっぽでございます。
今回はとくと見よで語った落語「芝浜」について少し語ろうと思います。
芝浜というのは飲んだくれの魚屋がおカミさんに頼まれて嫌々市場に行くけどまだしまってて、海に行ったら財布拾って中身はなんと42両。喜んで酒飲んで寝てしまう。
次の日起きたら42両なんてお金はないと言われてしまう。おカミさんの言い分だと金を拾ったのが夢で、酒を飲んだのが本当だという。
お酒のお金もずっと溜まっている借金も返さなくてはいけない。心を入れ替えて酒をやめて一生懸命仕事をするようになる。
3年経ってお金を綺麗に返し終わった年の大晦日に、お金を拾ったのは本当だとおカミさんが打ち明ける。全て聞き終わった男は今の俺があるのはお前のおかげだ。と感謝をする。
おカミさんが「今日くらい飲んでもいいじゃない」とお酒を出してくれるが「…よそう、また夢になる」
というのが芝浜の簡単な起承転結なのですが(これで何人の人がブラウザバックしたことか)
冷静に考えて、皆さん許せますか?おカミさんを。42両というのは当時のお金(まちまちですが)だと168万円〜1680万円と言われてます(諸説あり)
拾ったの、さすがに覚えてますよね?夢だと言われて納得いかないし、もし仮に認めたとしても、嘘だと打ち明けられて、許せるわけないですよね?
私も許すことは出来ないでしょう。
私、この話本当に好きなんです。喋ってて本当に好きなのです。
何がいいって、私の理想を語っているのです
あすこできれいに許せる。それでいて嫌な感じがせずにさっぱりしている。そこに江戸っ子の美学のようなものを感じますね。
「義理と褌だけは欠かさないお兄いさんだ」と言う言葉がありますが、本当に生きる時は義理と人情は欠かしたくないなと思います。
芝浜って落語の中では人情噺というジャンルになるんですね。人情噺ってすこし綺麗事だったり、江戸っ子ってこうあるべきだというのがそれなりに含まれていることがありますが、人情噺ってそれでいいのかなというのがあると思います。
語る人の中に理想の江戸っ子、理想の人間像を描くことができるのかなと思います。
落語って基本的にヒーローはいないのですよ。しかしながら、このときはヒーローになれるのかななんて思います。
もう少し語りたいですがこれ以上はよそう、また夢になる