僕なりの仕事

高校三年生で附属校生。受験生よりははるかに楽かもしれないけど、我々もこの時期だけは頑張らないといけない。

僕は勉強が得意だとは思うけど、好きではなかった。しかし、最近進学のために本気で勉強し始めてから、楽しくなってきた。

特に、政治経済が面白い。僕の学校の政治経済の先生は独特だ。口癖は「クゥー」で難しい話が大好き。学問が好きな先生の代表例みたいな人だ。楽を追求するうちの学校の生徒は、彼のような熱心な勉強家の授業を嫌う人間も多い。しかし、20年間学校に勤めている音楽教師によると、コアなファンが一定数存在するらしい。

僕も授業はできる限り楽な方がいいと思っていた。ただ、この人の授業は難しければ難しいほどやりごたえがある。自分が進学先に経済学部を選んだのも、この先生の影響が少なからずあるかもしれない。コアなファンになりつつあって、ちょっと恥ずかしい。

この先生が今学期取り上げたのはマルクスだった。マルクスは、社会主義の生みの親のような感じ?で知られていると思う。しかし、先生が言うにはマルクスの一番優れていた部分は資本主義の分析にあった。

マルクスは労働とは人にとってどのようなものか、というのを考察している。僕はこれが一番自分の中で響いた。すごく省略しながら拙い自分の言葉で説明してみる。労働というのは、人間の本質的な営みであって、他の人の感覚を解放するものだと言っている。他の人の感覚を解放するというのは、例えばおいしいパンを作って、他の人に食べてもらうと、その人は自分がパンを食べておいしいと感じることができると自覚する。この行為に、労働を行なった人(パンを作った人)は幸福を感じるとマルクスは述べている。

マルクスによると、資本主義の中では労働者はこの人間の本質的な労働ができないとのことだ。資本家に自分の労働の生産物が渡ってしまい、自分が直接他の人に働きかけることはないと主張している。マルクスが生きていた時代は、労働者というと工場で働く人が多く、そのような人は確かにこう感じていたかもしれない。

僕はまだアルバイトもしたことがないので、「仕事」はしたことがない。けれども、この記事を書いている時も他の人の感覚に働きかける「労働」はできている。将来、仕事に就くときも、この「労働」にできるだけ触れられる仕事がしたい。

マルクスが労働を幸福なものと捉えるように、理想像かもしれないけど僕も幸福な労働をしたい。直接人に働きかける仕事が年々増えていっているのは確かだから、労働ができるチャンスも増えている。しかし、他の人に求められる労働をするためには、僕もレベルアップしなければならない。

大学卒業して仕事をするまであと約4年間と数ヶ月(留年しなければ)、労働をするために自分は自分で道を切り開きたい。