森木いちな 感性に生きる表現者~巡る思考を発散収束行動~
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ヒストリー

出身地

佐賀県

幼少期の暮らし、体験

●自然の中でのびのび育つ
●ダム建設の立ち退きでふるさとをなくした経験から社会に疑問をもち、
 よりよい「解」を自分なりに考えるようになる。
●社交的な性格で多くの友人には恵まれたが、
 自分の感情をストレートに伝えることが苦手で、自分らしくある生き方に悩む。
 詩や絵を通して複雑な胸のうちを表現することを好む。

1990年(平成2年)佐賀県に生まれる。
4歳~6歳まで、山あいの集落で育つ。
山に入り切り株のある場所を秘密基地にしたり、川遊びなど自然と触れ合う生活を過ごした。
ダム建設による立ち退きにより、6歳で山のふもとにある平野部へ引っ越した。
田んぼ沿いの水路(クリーク)に入ってタニシを取ったり空き地で草スキーをしたり、
庭の木に登ったりと平野部でも自然と触れ合うことが好きだった。
毎年、夏休みになると、まだ着工されていないふるさとの山に行き、川遊びを楽しんだ。
うぐいすの声が響き青色の美しい蝶が舞うきれいな川だった。
 しかし、小学校高学年になったころ、ダム建設がいよいよ始まることが告げられ、山に行けなくなった。美しい自然が残るふるさとがダムに沈むという現実が受け入れられず、
毎夜泣いて過ごした。なぜダムを造らなければいけないのか?他の方法はなかったのか?祖父がリーダーの一人となって建設反対運動に尽力していたが、ひとりまたひとりと賛成の方に気持ちが向き、立ち退くことになったという。小学生の自分がどれだけ悲しくて悔しくても、当時に戻って食い止めることも叶わない。
 (今では、ダムの建設により佐賀市内の下流域が豪雨にも耐えうる治水機能を手に入れたことで多くの県民の命を救っていることもあり、建設が着工してよかったと心から思っている。)

 このころから、社会の問題に対して「なぜ?」「どうして?」と疑問をもつようになった。
なぜふるさとはなくなってしまったのか?なぜ戦争がはじまると人が人を殺めるのか?
目に映る様々なことに疑問と改善点はないかという視点で見るようになった。

 たとえば、小学生の頃、吉野ケ里遺跡歴史「公園」に初めて行ったときは、怒りが溢れて帰ってきて紙に感想を書きなぐっていた。当時、ただの遺跡発掘・復元現場として公開されていた吉野ケ里遺跡には何度も足を運んでいたが、入園料を取る「公園」として整備されたということで家族と楽しみに訪れた。近未来的な入口、橋、中に入ると各遺跡までが遠く、歩いている時間が長くその時間は歴史ロマンを感じるような演出もない。古代にタイムスリップしたかのような演出があり、過ごす時間を有効的に使えるような設計であれば、もっと県外の方も楽しめて、県民にとっては誇らしくもなり、もっと親しまれるのになと、子供ごころながらに腹がたったのである。

 この何をしててもどこにいっても「こうしたらもっとよくなるのに」と思う癖は今でも
健在で、嬉野市にある肥前夢街道に数年前初めて訪れたときは、「雑多に資材が置かれているのでただ片づけて目につかないようにするだけで印象がよくなるのに」「コンセプトがぶれぶれだからもっと忍者らしい村になるような表現・演出に少しずつでも改善していけばもっと訪れた人の没入感・満足感があがるのに」「演者がみな素晴らしいだけに実に惜しい」なんてことを考えて頭がいっぱいになり、いっしょに行った人にもくどくどそういう話をしていると、おかしな目でみられることもしばしばある。それも至極当然で、一緒にせっかくいったのに愚痴ばかり言われたら楽しくない。ただ、私は愚痴を言っているつもりは全くなく、肥前夢街道がもっとよくなるために何かできることはないか、この気づきをきっかけに考えることが好きなのである。






中学・高校時代



大学・専門学校時代